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中野譲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中野 譲
なかの じょう
生年月日 (1967-01-07) 1967年1月7日(57歳)
出生地 日本の旗 日本 東京都港区
出身校 明治学院大学経済学部
ドレクセル大学大学院
前職 末松義規衆議院議員秘書
所属政党 民主党小沢グループ
称号 学士(経済学)
MBA(経営学修士
公式サイト 中野譲(なかのじょう)公式ホームページ

選挙区比例北関東ブロック→)
埼玉14区
当選回数 2回
在任期間 2003年 - 2005年
2009年 - 2012年
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中野 譲(なかの じょう、1967年1月7日 - )は、日本の元政治家衆議院議員(2期)、外務大臣政務官野田内閣野田第1次改造内閣野田第2次改造内閣)を務めた。

概要

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東京都港区生まれ。海城中学校・高等学校明治学院大学経済学部経済学科卒業。アメリカ合衆国ドレクセル大学大学院に留学し、1992年MBAを取得した。1994年から民間NGO・国際開発救援財団のカンボジア事務所代表を務め、東南アジアカンボジアタイラオス)地域で約5年間、開発援助活動に携わる[1]。日本に帰国後、民主党衆議院議員末松義規の秘書を務める。

2003年第43回衆議院議員総選挙に民主党公認で埼玉14区から出馬。埼玉14区では自由民主党三ッ林隆志に敗れたが、重複立候補していた比例北関東ブロックで復活し、初当選。2005年第44回衆議院議員総選挙では埼玉14区で再び三ッ林に敗れ、比例復活もならず落選した。

2009年第45回衆議院議員総選挙では埼玉14区で初めて三ッ林を破り、国政に復帰。2011年野田内閣外務大臣政務官に任命され、野田第1次改造内閣野田第2次改造内閣でも留任。2012年9月7日、内閣官房長官藤村修に対し外務大臣政務官の辞表を提出した。中野は2012年9月民主党代表選挙への環境大臣細野豪志の擁立を進めており(細野は9月7日に不出馬を表明)、辞任の理由について「民主党代表選では、自由な立場でやっていきたい」と述べた[2]。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では小選挙区で敗北、比例復活もならず落選した。

所属していた団体・議員連盟

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脚注

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  1. ^ プロフィール
  2. ^ “民主党:中野外務政務官が辞表提出”. 毎日新聞. (2012年9月7日). オリジナルの2012年9月9日時点におけるアーカイブ。. https://archive.fo/20120909161837/http://mainichi.jp/select/news/20120907k0000e010201000c.html 2012年9月8日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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公職
先代
徳永久志
山花郁夫
菊田真紀子
日本の旗 外務大臣政務官
加藤敏幸
浜田和幸と共同

2011年 - 2012年
次代
浜田和幸
風間直樹
村越祐民