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中ノ島 (長崎県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中ノ島
中ノ島(2017年8月撮影)
中ノ島の位置(長崎県内)
中ノ島
中ノ島
地理
場所 五島灘東シナ海
座標 北緯32度38分7秒 東経129度44分48秒 / 北緯32.63528度 東経129.74667度 / 32.63528; 129.74667座標: 北緯32度38分7秒 東経129度44分48秒 / 北緯32.63528度 東経129.74667度 / 32.63528; 129.74667
面積 0.03 km2 (0.012 sq mi)[1][2]
海岸線 0.7 km (0.43 mi)[2]
最高標高 51 m (167 ft)[1]
行政
都道府県 長崎県の旗 長崎県
市町村 長崎市旗 長崎市
大字 高島町
人口統計
人口 0
追加情報
時間帯
テンプレートを表示
中ノ島炭鉱
所在地
所在地西彼杵郡本村
⇒西彼杵郡高島
⇒西彼杵郡高島村
都道府県長崎県
日本の旗 日本
生産
産出物石炭
生産量約84万t(総出炭量)[1]
歴史
開山1879年(明治12年)
採掘期間1879年 - 1893年
閉山1893年(明治26年)
所有者
企業?
⇒官有
郵便汽船三菱会社
⇒三菱社
取得時期1884年(三菱による取得)
プロジェクト:地球科学Portal:地球科学

中ノ島(なかのしま)は、長崎県長崎市(旧:西彼杵郡高島町)に属する無人島高島の南西約1.5kmにある[1]。また本島の南南西約700メートルの位置に「軍艦島」の通称で知られる端島がある[2]。中ノ島でも、端島と同様に炭鉱開発も試みられたが、こちらは短命に終わった[2][3]。その後は、端島住民の公園火葬場墓地として利用されてきたが、端島の炭鉱が閉山した後は、端島同様放棄された[2]

歴史

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1879年(明治12年)に中ノ島で炭鉱の開発が始まる[1][2]。この際、深さ69mの立坑が掘削された[1]1884年(明治17年)、一度官有となった後、三菱社へと売却された[1][2][3]。三菱社への売却後、竪坑が2本掘削され、本格的な操業が開始されたものの、坑道での出水が多かったことから採掘が困難となり、1893年(明治26年)には操業を停止、三菱社への売却からわずか9年で閉山した[1][2][3]。稼働時の総出炭量は、約84万tであった[1]。隣の島である端島においても、1886年(明治19年)より本格的な石炭採掘が開始されており、中ノ島炭鉱閉山の3年前、1890年(明治23年)に、中ノ島炭鉱と同じ三菱社へと売却されている。

中ノ島炭鉱閉山後、島にはが移植され、花見が行えるように整備されたり、海浜レジャーの場として利用された[2][3]。歴史が下るにつれて、人口密度が急激に上昇した端島では緑化運動が広まり、その一環として中ノ島に緑化公園が造成されることとなった[4]。公園の造成は、1962年(昭和37年)から高島町によって開始され、遊歩道展望台・遊具が設置され、全島が緑地公園となった[1][4]。また、端島には火葬場墓地が存在せず、中ノ島に火葬場と墓地(納骨堂)も設置されていた[1][2][3]

1974年(昭和49年)4月20日に端島炭鉱が閉山。中ノ島も端島と同様に放棄された[2]。以後は、釣り人が訪れる程度となっていた[2]

2014年(平成26年)、中ノ島炭鉱跡が「高島炭鉱跡」の一部として、国の史跡に指定された[1]

島内には、竪坑を含む炭鉱時代の遺構や、水上公園の遺構、火葬炉・納骨堂の遺構などが点在しているが、島への上陸は禁止されている[1]

アクセス

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島への定期便はないため、チャーター便を利用する必要がある。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 公益財団法人日本離島センター 編『新版SHIMADAS』公益財団法人日本離島センター、2019年、1077頁。ISBN 978-4-931230-38-5 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 端島(はしま)・中ノ島(なかのしま) 2015年4月30日閲覧。
  3. ^ a b c d e 中ノ島炭鉱 ABOUT GUNKANJIMA - TUNNEL OF BLACK DIAMOND 2015年4月30日閲覧。
  4. ^ a b 中ノ島水上公園 ABOUT GUNKANJIMA - NO GREEN ISLAND 2015年4月30日閲覧。

外部リンク

[編集]

国土地理院の地形図(中ノ島周辺)