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ロジャヴァ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北部及び東部シリア自治行政区

  • Rêveberiya Xweser a Bakur û Rojhilatê Sûriyeyê
  • الإدارة الذاتية لشمال وشرق سوريا
ロジャヴァ、西クルディスタンの国旗
国旗
Coat of arms of ロジャヴァ、西クルディスタン
国章
国歌: "おい、敵よ"
地位 シリア事実上の自治区
首都 カーミシュリー[1][2]
北緯37度3分 東経41度13分 / 北緯37.050度 東経41.217度 / 37.050; 41.217座標: 北緯37度3分 東経41度13分 / 北緯37.050度 東経41.217度 / 37.050; 41.217
公用語
統治体制 民主的連邦制英語版[4][5][6][7][8]
• 共同大統領
アシャ・アブドゥラ(Asya Abdullah)
• 共同大統領
サリー・ムスリム・ムハンマド(Salih Muslim Muhammad)
自治区
• 自治提案
2013年7月
• 自治宣言
2013年11月
• 自治政府発足
2013年11月
• 暫定憲法採択
2014年1月
人口
• 2014年の推計
460万人[9]
通貨 シリア・ポンド (SYP)

北部及び東部シリア自治行政区(ほくぶおよびとうぶシリアじちぎょうせいく、英語: Autonomous Administration of North and East Syria,略称:AANES) 通称ロジャヴァクルド語: Rojavayê Kurdistanê[10][11]rojavaクルド語で西の意)は、シリアの北部から北東部にかけて広がる事実上の自治行政区画[12]。2013年11月、ロジャヴァ作戦(Rojava campaign)の中で事実上の自治権を獲得、直接民主制男女同権持続可能性を原則とした社会を築いた[13][14]。ロジャヴァは3つの隣接しない行政区画からなる。東からジャジラ(Jazira)、コバニ(Kobani)、アフリン(Afrin)である。ロジャヴァはシリアからは公式に自治権を認められておらず[15]、そしてISILとは交戦状態にある[16]西クルディスタンともいう。

クルド人は一般的にロジャヴァを、クルディスタンを4つに分けた1地域としてみている。すなわちトルコ南東部(北クルディスタン)、イラク北部(南クルディスタン、狭義の「クルディスタン地域」)、イラン西部(東クルディスタン)にシリア北東部(西クルディスタン/ロジャヴァ)を加えた4地域である[17]。クルド人が多数派を占める地域ではあるが、ロジャヴァ・クルディスタンの政府や社会は民族的・宗教的な多様性を保持している[18]

地理

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2014年2月時点での3つのカントン

ロジャヴァはチグリス川の西にトルコ国境に沿って広がる。カントンと呼ばれるロジャヴァの3つの行政区画(ジャジラコバニアフリン)は緯度36度から北へ0.5度の範囲に収まっており横一列に並ぶ。ジャジラは、南東ではイラクのクルディスタンと接する。その他の国境に関してはシリア内戦のただ中で確定していない。他のクルディスタンから隔絶された山岳地帯、クルド山地(Kurd Dagh)にもクルド人が居住している。これがクルディスタンの最西端となり、20キロメートル圏内に地中海を臨む。東の方ではアザズ(Azaz)の山岳地帯にもクルド人が、カルケミシュイドリブにはクルド系の少数民族が暮らす。ステファン・スパール(Stefan Sperl)はこれらの地域がアンティオキアへの通り道にあたることから、クルド人の定住が始まった時期をセレウコス朝の時代に求めている。初期のクルド人は傭兵や弓騎兵を生業としていた[19]

歴史

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ロジャヴァ革命

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  クルド人勢力の制御下(ロジャヴァ)
  シリア政府(アサド政権)の制御下
  ISILの制御下
  アル=ヌスラ戦線の制御下
  紛争地帯(各勢力における戦闘の最前線)
  その他の反政府勢力の制御下

2012年7月12日、2つの主要なクルド人組織であるクルド国民評議会英語版(KNC)とクルド民主統一党は共同で、クルド人の政治主体となるクルド人最高委員会(DBK)を設立した。DBKはシリア国内のクルド人居住地域を守る目的でクルド人民防衛隊(YPG)を組織した。2012年7月末、そのYPGがコバニ、アムダ(Amuda)、アフリーンを支配に置いた[20]。その後、マリキヤラース・アル=アイン、アル=ダルバシヤ(Al-Darbasiyah)、アル=マーバダ(Al-Maabadah)などの都市もYPG支配下に置かれた。クルド人が多数派を占める都市としてはハサカカーミシュリーのみがシリア政府の統治下に置かれていたが[21][22]、すぐにこれらの都市からもいくつかの地区がYPGの支配に入った。

2013年7月、ISILラッカ県のクルド人住民の立ち退きを強制し始める。7月21日、タル・アブヤドでは立ち退かなければ殺すというISILの脅迫によってトルクメン人、アラブ系住民も含めた数千人の市民が土地を離れた。タル・アブヤドに入ったISILはクルド人の財産を略奪、破壊した。場合によってはリーフ・ディマシュクデリゾールラッカから連れてきたスンニー派アラブ人を、追い出したクルド人の住居に住まわせた。他の地域でも同様のことが行われた。ISILがラッカ県を支配地域に加えるとクルド系住民は2014年3月にはテル・アカダ(Tel Akhader)を、9月にはコバニを追われた[23]

クルド人民防衛隊の攻勢による支配地域の変遷(2015)

2014年、コバニはISILにより包囲された(コバニ包囲戦)。コバニは後にクルド人民防衛隊(YPG)と自由シリア軍が共同で行った作戦により開放された。この作戦はユーフラテス・ボルケイノゥと呼ばれ、アメリカが主導する空爆による支援も受けていた。

2015年1月、クルド人民防衛隊(YPG)はハサカにてそれまで敵対していなかったシリア政府軍と交戦した[24]。2015年6月にはカーミシュリーに駐屯するシリア政府軍と衝突[25]、クルド人の高官ナシル・ハッジ・マンスール(Nasir Haj Mansour)は以下のように語っている。「シリア政府は日に日に弱体化してる。今後再び政府が主導権を取り戻す日が来るとは思えない[26]」。

これ以降も、シリア政府軍、クルド人民防衛隊(YPG)とも反体制派ISILとの戦闘を優先する姿勢は変わらないものの、ハサカなどでは散発的な小競り合いが続き、2016年8月に軍事衝突に発展した。8月21日、YPGはハサカ南部の政権側支配地域を包囲、これに対し政権側はクルド人実効支配地域に内戦下で初めて空爆を実施したが、ハサカの大半を実効支配するYPGが優勢で、23日までにハサカのほぼ全域を制圧した。新たな大規模衝突に発展することも懸念されたが、双方は23日に停戦入りした。戦闘員の遺体や捕虜を交換し、交通規制を撤廃することも決まった。アサド政権とYPGの双方にパイプを持つロシアなどの仲介があったとみられる。国営メディアは政権側の撤退を報じていないが、YPG側は「政府軍や政権側民兵は市外に撤退し、将来的にも市内に駐留しないことで合意した」と説明している。YPGが新たに制圧した地域もクルド側が支配権を握り、政権側は市中心部の一部に警察が残るだけとなる。

アサド政権とYPGが対立と協調の微妙な関係を続ける背景には、シリア政府軍はアラブ人の居住エリアを取り廻すだけで手一杯であり、ロジャヴァ(クルド人地区)に対して人員を割くだけの余力がない一方で、ロジャヴァとしては、バース党の統治に変わる行政と治安維持を行うための組織・制度を作ることで手一杯であることに加え、合併・分裂・内部衝突を繰り広げる反体制派に加担するよりは、内戦後も存続する可能性が濃厚なアサド政権との関係を維持し、具体的な譲歩を得る方が現実的との思惑があると考えられる。また、内戦勃発以来アサド政権打倒に熱心かつ、クルド人勢力の自治や独立に対して強硬姿勢も辞さない地域大国トルコの存在が、アサド政権とYPG双方の共通の敵として協調関係を保っている。

2018年1月のトルコ軍によるアフリーン郡侵攻以降は、反体制派の各勢力がトルコ軍と協調するかアサド政権との戦闘を優先する中で、YPGはアサド政権に軍事支援を要請。交渉の末、アサド政権側も支援要請に応じ部隊派遣を決定したため、一部占領地域をアサド政権に移譲するなど両者が急速に接近し、少なくともアフリーン一帯においては、その立場は「反体制派」からアサド政権の「同盟者」に変質しつつある。2018年12月にはアメリカがシリアからの撤退を発表し、トルコがロジャヴァに対する新たな軍事作戦を準備するに先立ち、YPGはアサド政権にマンビジの防衛を要請。12月28日に政府軍部隊がマンビジに投入された。米軍の後ろ盾を失った中でYPGはアサド政権と協調してトルコに対抗する姿勢を鮮明にした。

市民による非政府構造社会の構築

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2012年7月、クルド民主統一党(PYD)とクルド国民評議会(KNC)によって、クルド人最高委員会(Desteya Bilind a Kurd, DBK)がロジャヴァの統治主体として設立された[27]。委員会のメンバーはPYDとKNCのそれぞれから同じ人数が参加する[28]。2013年11月、PYDは隣接しない3つの自治区(ジャジラ、コバニ、アフリン)からなる暫定政府の発足を発表した[29]

民主的連邦制英語版コミュナリズム英語版に動機づけられたロジャヴァの政治システムはアナキズムリバタリアニズムの原則に影響を受けており、多くの場合、リバタリアン社会主義とみなされる[30]。ロジャヴァの憲法は通貨、財産権自由貿易を保障している[31]教育安全保障、行政のための資源を共同管理するコミュニティが基本単位となり、経済活動に関するコミュニティの決定は政府から干渉を受けない。すなわち誰に売るか、資源をどう分配するかといったコミュニティの決定は一切制限されない。そして社会構造の変革、男女同権、持続可能な環境資源戦略を推し進めている[32]

政治作家のデビット・ロマノ(David Romano)はこのロジャヴァの政治システムを「上昇型の、アテネ式直接民主政治」と表現している。彼は「責任を与えられた地域のコミュニティ」と「多くの州(states)に支持された強力な中央政府」とを対比している。ロジャヴァのモデルでは州の重要性は薄くなり、初期のアメリカや分離同盟戦争によって連邦国家になる以前のスイスに似た形の委員会を通して人々が統治を行う[33]。ロジャヴァは地方自治体を「カントン」と名づけた。これはスイスの地方行政区画に倣っている[31]

民主的自治を目指した運動

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2014
2015
2016

ロジャヴァの政治モデルは、民主的な選挙によって組織された委員会による地域管理、すなわちカントンごとの管理に主眼を置いている。この民主的社会の構築を目指した運動はTEV-DEM英語版とよばれ、これは端的にいえばロジャヴァにより主導される、民主的自治を行うクルド人地区の政治的連帯である。

この運動はすぐに包括性を目指すようになり、クルド人アラブ人アッシリア人、そしてムスリムキリスト教徒ヤズィーディーのグループからなるトルクメン人など幅広い民族的集団を巻き込んだ。運動は隣近所に、村に郷に、小さい街から大都市にまであらゆる場所にさまざまなグループ、委員会、共同体を形作ることを目標とした。これらのグループの目的は、彼らが生活の中で直面する問題を毎週話し合うことである。そしてグループの代表は村や街に設けられた「人々の家」に集まり話し合いを行う。

ヘリンゲイ・ソリダリティ・グループ(Haringey Solidarity Group)のザヘル・バヘル(Zaher Baher)は、TEV-DEMがロジャヴァ地域でもっとも成功した社会構造として成長することができた理由について考察している。彼はその理由に、物事を変えるだけの決意と力を持っていたこと、信念を持った人々がこの運動を成功させるためあらゆるレベルの活動に自発的に従事したこと、そして3つの部隊から成る防衛軍を組織したことの3点を挙げている。TEV-DEMの組織した軍隊とはすなわちクルド人民防衛隊クルド女性防衛部隊とアサイシュ(Asaish、街や検問所に控え、脅威から住人を守る男女混成部隊)である。加えて、女性のみから成る特別部隊がレイプドメスティック・バイオレンスの問題を扱う[34]

中央政府

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TEV-DEMと並び、暫定政治主体であるクルド人最高委員会(DBK)が存在する。これはクルド民主統一党とクルド国民評議会の両党から同数のメンバーが参加する委員会で、主に外交政策を担う[28]

シリアからの独立は考えられておらず、自治権の獲得と地域内の資源の管理を目標としている[35]

2014年の終わりに選挙を計画していたが[36]、戦闘の激化により延期された。一部の地方選挙は2015年の3月に行われた。

経済農業天然資源外交に関わる20の省庁を有する[36]。議席の40パーセントは女性に割り当てられており、別に若年層への割り当ても用意されている。エスニック・マイノリティに対する配慮を促すためにすべての政府組織、省庁は共同大統領制に基づいて設計されている[37]

脚注

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  1. ^ アーカイブされたコピー”. 2014年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月5日閲覧。
  2. ^ ISIS suicide attacks target Syrian Kurdish capital - Al-Monitor: the Pulse of the Middle East”. Al-Monitor. 18 February 2015閲覧。
  3. ^ “West Kurdistan divided into three cantons”. ANF. (6 January 2014). http://en.firatajans.com/news/news/west-kurdistan-divided-into-three-cantons.htm 6 January 2014閲覧。 
  4. ^ Jongerden, Joost. “Rethinking Politics and Democracy in the Middle East” (PDF). 8 September 2013閲覧。
  5. ^ Ocalan, Abdullah (2011) (PDF). Democratic Confederalism. ISBN 978-0-9567514-2-3. http://www.freedom-for-ocalan.com/english/download/Ocalan-Democratic-Confederalism.pdf 8 September 2013閲覧。 
  6. ^ Ocalan, Abdullah (2005年4月2日). “The declaration of Democratic Confederalism”. KurdishMedia.com英語版. 2013年12月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月8日閲覧。
  7. ^ Bookchin devrimci mücadelemizde yaşayacaktır” (Turkish). Savaş Karşıtları (2006年8月26日). 2013年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月8日閲覧。
  8. ^ Wood, Graeme (26 October 2007). “Among the Kurds”. The Atlantic. http://www.theatlantic.com/magazine/archive/2007/10/among-the-kurds/306448/ 8 September 2013閲覧。 
  9. ^ Estimate as of mid November 2014, including numerous refugees. "Rojava’s population has nearly doubled to about 4.6 million. The newcomers are Sunni and Shia Syrian Arabs who have fled the scorched wasteland that Assad has made of his country. They are also Orthodox Assyrian Christians, Chaldean Catholics, and others, from out of the jihadist dystopia that has taken up so much of the space where Assad’s police state used to be." “In Iraq and Syria, it's too little, too late”. Ottawa Citizen. (14 November 2014). http://ottawacitizen.com/opinion/columnists/iraq-and-syria-too-little-too-late 
  10. ^ Barzanî xêra rojavayê Kurdistanê dixwaze” (Kurdish). Avesta Kurd (15 July 2012). 13 May 2015閲覧。
  11. ^ Yekîneya Antî Teror a Rojavayê Kurdistanê hate avakirin” (Kurdish). Ajansa Nûçeyan a Hawar (7 April 2015). 13 May 2015閲覧。
  12. ^ The secret garden of the Syrian Kurdistan
  13. ^ “The Constitution of the Rojava Cantons”. http://civiroglu.net/the-constitution-of-the-rojava-cantons 14 May 2015閲覧。 
  14. ^ Daily Local News – August 13, 2015”. Bloomington Community Radio, Inc. (13 August, 2015). 2015年10月15日閲覧。
  15. ^ Fight For Kobane May Have Created A New Alliance In Syria: Kurds And The Assad Regime”. International Business Times (8 October 2014). 18 February 2015閲覧。
  16. ^ . http://aranews.net/2015/02/kurds-regain-15km-kobane-countryside-killing-dozens-militants/ 
  17. ^ Kurdish Awakening: Nation Building in a Fragmented Homeland, (2014), by Ofra Bengio, University of Texas Press
  18. ^ A Small Key Can Open A Large Door”. Combustion Books. 23 May 2015閲覧。
  19. ^ Kreyenbroek, P.G.; Sperl, S. (1992). The Kurds: A Contemporary Overview. Routledge. pp. 116. ISBN 0415072654. https://books.google.nl/books?id=JZ6JAgAAQBAJ&pg=PA116#v=onepage&q&f=false 
  20. ^ “More Kurdish Cities Liberated As Syrian Army Withdraws from Area”. Rudaw. (20 July 2012). http://www.rudaw.net/english/kurds/4978.html 27 July 2012閲覧。 
  21. ^ “Armed Kurds Surround Syrian Security Forces in Qamishli”. Rudaw. (22 July 2012). http://www.rudaw.net/english/news/syria/4984.html 27 July 2012閲覧。 
  22. ^ “Girke Lege Becomes Sixth Kurdish City Liberated in Syria”. Rudaw. (24 July 2012). http://www.rudaw.net/english/news/syria/4992.html 27 July 2012閲覧。 
  23. ^ Report of the Independent International Commission of Inquiry on the Syrian Arab Republic: Twenty-seventh session”. UN Human Rights Council. 2015年10月15日閲覧。
  24. ^ Kurds battle Assad's forces in Syria, opening new front in civil war”. Reuters (17 January 2015). 25 February 2015閲覧。
  25. ^ Kurds take on Syria regime in Qamishli
  26. ^ Syria Kurds seek bigger role after victories”. TDS (17 June 2015). 17 June 2015閲覧。 “The Kurds’ alliance with Washington has fueled suspicions in Damascus of a conspiracy to break up Syria, while the Kurds are irritated by what they see as government attempts to recover lost influence in the region”
  27. ^ Kurdish Supreme Committee in Syria Holds First Meeting”. Rudaw (27 July 2012). 6 January 2014閲覧。
  28. ^ a b Now Kurds are in charge of their fate: Syrian Kurdish official”. Rudaw (29 July 2012). 6 January 2014閲覧。
  29. ^ PYD Announces Surprise Interim Government in Syria’s Kurdish Regions”. Rudaw. 2015年7月30日閲覧。
  30. ^ http://www.truth-out.org/news/item/29059-the-no-state-solution-institutionalizing-libertarian-socialism-in-kurdistan
  31. ^ a b Charter of the social contract in Rojava (Syria)”. 2015年7月30日閲覧。
  32. ^ ROJAVA: POLITICAL STRUCTURE OBSCURED BY HEADLINES”. 2015年7月30日閲覧。
  33. ^ A Very Different Ideology in the Middle East”. 2015年7月30日閲覧。
  34. ^ The experiment of West Kurdistan (Syrian Kurdistan) has proved that people can make changes”. Anarkismo.net. 21 October 2014閲覧。
  35. ^ “War with Isis: The forgotten, plucky Kurds under siege in their enclave on Syria’s border with Turkey”. Independent. (13 November 2014). http://www.independent.co.uk/news/world/middle-east/war-with-isis-the-forgotten-plucky-kurds-under-siege-in-their-enclave-on-syrias-border-with-turkey-9859809.html 
  36. ^ a b “Striking out on their own”. The Economist. http://www.economist.com/news/middle-east-and-africa/21628887-syrias-kurds-are-enjoying-more-autonomy-striking-out-their-own 
  37. ^ Western Kurdistan’s Governmental Model Comes Together”. The Rojava Report. 18 February 2015閲覧。

関連項目

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外部リンク

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