STS-51-B
STS-51-Bは、アメリカ航空宇宙局(NASA)のスペースシャトル計画の17回目の飛行であり、チャレンジャーにとって7回目の飛行である。1985年4月29日のチャレンジャーの打上げは、打上げ作業管理上の不具合のため、2分18秒遅れた。チャレンジャーは、当初STS-51-Eのミッションで用いられる予定で発射台に運ばれたが、TDRS-B衛星のタイミングの問題が発生し、戻された。STS-51-Eが中止になると、チャレンジャーはSTS-51-Bのペイロードを積み直した。シャトルは、1週間のミッションの後、1985年5月6日に帰還した。
STS-51-Bでのチャレンジャーの打上げ | |
任務種別 | 微小重力実験 |
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運用者 | NASA |
COSPAR ID | 1985-034A |
SATCAT № | 15665 |
任務期間 | 7日8分46秒 |
飛行距離 | 4,651,621 km |
周回数 | 111 |
特性 | |
宇宙機 | チャレンジャー |
打ち上げ時重量 | 111,980 kg |
着陸時重量 | 96,373 kg |
ペイロード重量 | 15,610 kg |
乗員 | |
乗員数 | 7 |
乗員 | ロバート・オーバーマイヤー フレデリック・グレゴリー ドン・リンド ノーマン・サガード ウィリアム・ソーントン ロデウェイク・ファン・デン・バーグ 王贛駿 |
任務開始 | |
打ち上げ日 | 1985年4月29日 16:02:18(UTC) |
打上げ場所 | ケネディ宇宙センター第39発射施設 |
任務終了 | |
着陸日 | 1985年5月6日 16:11:04(UTC) |
着陸地点 | エドワーズ空軍基地第17滑走路 |
軌道特性 | |
参照座標 | 地球周回軌道 |
体制 | 低軌道 |
近点高度 | 346 km |
遠点高度 | 352 km |
傾斜角 | 57.0° |
軌道周期 | 91.5分 |
前列:左から、オーバーマイヤー、グレゴリー 後列:左から、リンド、王、サガード、ソーントン、ファン・デン・バーグ |
乗組員
編集- 船長 - ロバート・オーバーマイヤー (2)
- 操縦手 - フレデリック・グレゴリー (1)
- ミッションスペシャリスト1 - ドン・リンド (1)
- ミッションスペシャリスト2 - ノーマン・サガード (2)
- ミッションスペシャリスト3 - ウィリアム・ソーントン (2)
- ペイロードスペシャリスト1 - ロデウェイク・ファン・デン・バーグ (1)
- ペイロードスペシャリスト2 - 王赣骏 (1)
バックアップ
編集- ペイロードスペシャリスト1 - マリー・ジョンストン
- ペイロードスペシャリスト2 - ユージン・トリン
ミッションの概要
編集チャレンジャーは、1985年4月29日午後0時2分(EDT)にケネディ宇宙センターの第39発射施設Aから打ち上げられた。乗組員は、船長のロバート・オーバーマイヤー、操縦手のフレデリック・グレゴリー、ミッションスペシャリストのドン・リンド、ノーマン・サガード、ウィリアム・ソーントン、そしてペイロードスペシャリストのロデウェイク・ファン・デン・バーグ、王?駿であった[1]。以前のスペースラブのミッション(STS-9)と同様に、乗組員は12時間毎のシフトの2組に分かれ、オーバーマイヤー、リンド、ソーントン、王はゴールドチーム、グレゴリー、サガード、ファン・デン・バーグがシルバーチームとなった。
STS-51-Bは、欧州宇宙機関のスペースラブの2回目の飛行であり、スペースラブモジュールが完全な形態となって初めてのミッションとなった。スペースラブでは、複数の微小重力実験が可能であることが示された。オービタの高度は非常に安定で、デリケートな材料実験や流体力学の実験を行うことができた。乗組員は、12時間毎のシフトで運営を行った。2匹のリスザルと24匹のラットが檻に入れられて宇宙を飛び[2]、これはアメリカ合衆国にとって、ヒト以外の哺乳類をスペースシャトルに乗せた2回目の飛行となった。軌道上の乗組員は、ジョンソン宇宙センターに置かれた管制センターから24時間のサポートを受けた。
このミッションで、スペースラブでは15個の実験が行われ、そのうち14個は成功した。2つのGetaway Special実験では、この計画で初めて、キャニスターから放出される必要があった。これらは、NUSAT(Northern Utah Satellite)とGLOMR(Global Low Orbiting Message Relay Satellite)であり、NUSATの放出には成功したが、GLOMRは放出されず、そのまま地球に帰還した。
チャレンジャーは、1985年5月6日午後0時11分に、7日間と8分46秒のミッションを終え、無事エドワーズ空軍基地に着陸した。
チャレンジャー号爆発事故との関係
編集1986年のチャレンジャー号爆発事故の調査に参加した際、オーバーマイヤーは、STS-51-Bの打上げの際にも、事故に繋がったものと同様のOリングの問題が発生していたことを知った。ATKランチ・システムズ・グループの技術者は、このミッションの後、リンデに対し、「あなたたちは死まで0.3秒のところにいた。左側の固体燃料ロケットのOリングには問題が発生していた」と語っていた[3]。
出典
編集- ^ Fichtl, George H.; Theon, John S.; Hill, Charles K.; Vaughan, Otha H.. “Spacelab 3 Mission Science Review”. NASA. Marshall Space Flight Center. 27 September 2011閲覧。
- ^ PROGRAMS, MISSIONS, AND PAYLOADS STS-51B/Spacelab 3, NASA
- ^ “NASA Johnson Space Center Oral History Project”. Don L. Lind oral history transcript (May 27, 2005). 2013年10月29日閲覧。
外部リンク
編集- NASA mission summary - ウェイバックマシン(2000年8月17日アーカイブ分)
- STS-51B Video Highlights - ウェイバックマシン(2007年7月14日アーカイブ分)