1945年度の将棋界(1945ねんどのしょうぎかい)では、1945年昭和20年)4月から1946年昭和21年)3月の将棋界に関する出来事について記述する。

できごと

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1945年上旬

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1945年5月

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1945年10月

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  • 将棋大成会本部焼失のため、金易二郎八段宅を「将棋大成会仮本部」、渡辺東一八段宅を「仮事務所」と定めた[4]

1945年11月

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  • 29日 - 将棋大成会が臨時総会を開催。段位撤廃が議題となった[5]。結果として、順位戦により棋士の順位を決定する「順位制」を採用することとなった[6][注 1]

1946年3月

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記録

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タイトル戦

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棋戦 勝者 開催時期 番勝負 備考
在位者 勝敗 挑戦者
名人戦 第5期名人 木村義雄 1944-1945年 太平洋戦争激化により中止 5期連続(通算5期) [1][8]

昇段・引退

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昇段 棋士 昇段日
八段 加藤治郎 1945年 [9]

脚注

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注釈

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  1. ^ 当初は段位を撤廃すると決定されたが、最終的には順位戦の順位と棋士の段位を併用する案が採用された[7]

出典

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  1. ^ a b c 山本 1966, p. 80.
  2. ^ 日本将棋の歴史(24)|将棋の歴史”. 日本将棋連盟. 2023年12月13日閲覧。
  3. ^ 加藤、原田、田辺 1999, p. 229.
  4. ^ a b 加藤、原田、田辺 1999, p. 230.
  5. ^ 山本 1966, p. 84.
  6. ^ 山本 1966, pp. 88–94.
  7. ^ 山本 1966, pp. 116–117.
  8. ^ 名人戦・順位戦”. 日本将棋連盟. 2023年12月13日閲覧。
  9. ^ 加藤治郎|棋士データベース”. 日本将棋連盟. 2023年12月13日閲覧。

参考文献

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  • 山本武雄『将棋百年』時事通信社、1966年。 
  • 加藤治郎原田泰夫田辺忠幸『[証言]将棋昭和史』毎日コミュニケーションズ、1999年9月。ISBN 4-8399-0255-0