1907年の相撲
できごと
編集東京相撲の常設館の建設が決まり、江戸時代以来永らく興行場所となってきた本所回向院での興行が終わる。
8月、横綱常陸山一行が欧米漫遊の途につく。9月28日にはセオドア・ルーズベルト米大統領に謁見し、ホワイトハウスで土俵入りを披露した[1]。
本場所など
編集誕生
編集- 1月1日 - 伊達ノ花静(最高位:前頭15枚目、所属:出羽海部屋、+ 1944年【昭和19年】)[8]
- 1月27日 - 常盤野藤兵衛(最高位:前頭8枚目、所属:出羽海部屋、+ 1974年【昭和49年】)[9]
- 3月2日 - 両國梶之助(最高位:関脇、所属:出羽海部屋、+ 1959年【昭和34年】)[10]
- 3月20日 - 出羽湊利吉(最高位:関脇、所属:出羽海部屋、+ 1964年【昭和39年】)[11]
- 3月29日 - 桂川質郎(最高位:前頭筆頭、所属:楯山部屋→伊勢ヶ濱部屋、+ 2003年【平成15年】)[12]
- 7月10日 - 九紋竜政五郎(最高位:十両2枚目、所属:時津風部屋→粂川部屋、+ 没年不明)
- 9月21日 - 栃ノ峯甚一郎(最高位:十両8枚目、所属:春日野部屋、+ 1985年【昭和60年】)
死去
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 「<近代茨城の肖像>(6)常陸山 谷右衛門 相撲で日米の懸け橋に」東京新聞 2022年4月10日
- ^ 酒井, pp. 207–209.
- ^ 酒井, p. 209.
- ^ 酒井, pp. 210–212.
- ^ 酒井, p. 212.
- ^ 酒井, pp. 212–213.
- ^ 酒井, p. 213.
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 86頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 73頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 77頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 84頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 83頁
参考文献
編集- 酒井忠正『日本相撲史 中巻』ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。