黒い雨

原子爆弾投下後に降る、放射性物質を含む黒みがかった雨

黒い雨(くろいあめ)とは、原子爆弾投下後に降る、原子爆弾炸裂時に巻き上げられた泥やほこり、すすや放射性物質などを含んだ重油のような粘り気のある大粒ので、放射性降下物(フォールアウト)の一種である。

概要

編集

原子爆弾が投下された広島市で、黒い雨の記録が残っている。また、フランスの核実験場であったムルロア環礁[1]ソ連の核実験場であったセミパラチンスク周辺でも[2]、原子爆弾投下後の降雨の記録が残っている。

広島市では、主に北西部(下記参照)を中心に大雨となって激しく降り注いだ。この黒い雨は強い放射能を持つため、この雨に直接打たれた者は、二次的な被曝が原因で、頭髪の脱毛や、歯ぐきからの大量の出血、血便、急性白血病による大量の吐血などの急性放射線障害が起こった。大火傷・大怪我をおった被爆者達はこの雨が有害なものと知らず、喉の渇きから口にするものも多かったという[3]。原爆被災後、他の地域から救護・救援に駆けつけた者も含め、今まで何の異常もなく元気であったにもかかわらず、突然死亡する者が多かった。水は汚染され、川の魚はことごとく死んで浮き上がり、この地域の井戸水を飲用した者の中では、下痢をすることが非常に多かったという。

長崎でも、黒い雨の降雨記録が残っている。黒い雨は爆風や熱線の被害を受けなかった地域にも降り注ぎ、広範囲に深刻な放射能汚染をもたらした。

広島における降雨地域

編集

従来、広島において黒い雨の降った範囲は、当時の気象技師の調査などに基づき、爆心地の北西部に1時間以上降った「大雨地域」(南北19km、東西11km)と1時間未満の「小雨地域」(南北29km、東西15km)だとされ、国はそれに基づき「大雨地域」在住の被爆者にのみ健康診断やがんなどの特定疾患発病時の被爆者健康手帳の交付を行ってきた。だが、実際にはその地域よりはるかに遠い地域でも降雨が報告されており、この基準に対する批判が多かった。

近年になって降雨範囲が従来よりはるかに広いことが広島市による被爆者の聞き取り調査により判明した[4]。さらに、広島大学原爆放射線医科学研究所の星正治教授らが2008年から2009年にかけて行った調査により、爆心地から8km離れた「小雨地域」の土よりセシウム137を検出した[5][6]

これらの事実を受け、広島市では2010年度から2年かけて改めて原爆投下当日の気象状況を元に黒い雨の降雨範囲のシミュレーションを行うことを発表した[7]。広島市は降雨域の拡大を厚生労働省に求め、これによって、被爆者の援護対象の拡大などが期待されたが、厚生労働省の有識者検討会は2012年1月20日に、「降雨域を確定するのは困難」との結論を出した[8]

長崎における降雨地域

編集

長崎市へ投下された原爆でも、黒い雨の降雨記録が残っている[9][10]

1975年、林京子群像新人文学賞受賞・第73回芥川賞受賞作品の『祭りの場』の中で、母親が諫早に住んでいて「黒い雨」を体験したことを綴っている[11]

2008年、ノーベル化学賞を受賞した下村脩は、著書の中で、諫早市で黒い雨に濡れたことを記している[12]

「黒い雨」の降雨に関する記録は広島に比べ数は少ない[13][14]。原爆炸裂当日の気象条件、降雨地域の人口密度などが関係している(森や林といった山間部が多かった)。また、雨ではなく降灰や塵埃として広範囲に地上に落下した[9][14][15]。1945年9月から10月にかけて地上に残留していた放射線の測定値が熊本を含む多数の地点で記録されている[16]。また、長崎の西山地域住民の血液検査(白血球数)なども数は少ないが記録が残されている[17][15]

工藤洋三・金子力の著書『原爆投下部隊』の175ページには橘湾上空を飛行するB-29爆撃機から撮影したキノコ雲の写真が3枚掲載されている。その一枚にはキノコ雲の東側(東長崎地区・諫早方面)に黒く延びる影(原爆による多量の降下物)を撮影した写真が掲載されている[18][注釈 1]

長崎市の浦上駅近くに住んでいた野呂邦暢(1937年生まれ。当時8歳)は諫早市へ半年あまり疎開していて原爆を体験した。この日、友達と公園にセミ採りに行く。現在の眼鏡橋がある近くで、諫早城趾の楠(クスノキ)の上に白く光る球体を見る。鈍い爆発音が地面をゆるがしたあと近くの防空壕へ避難する。しばらくして、どす黒い煙の塔を見る。丘の上から長崎の方を見ると黒褐色の煙の下際が赤い焔で縁どられていた。その夜は、

煙がくまなく空を覆い光をさえぎった。太陽は光を失いちっぽけな真鍮の円板にすぎなくなった。長崎の方から生臭い風にのって布切れや紙の燃え殻があとからあとから漂って来た。空はこれらの黒っぽい滓状のもので埋めつくされた。不吉な夕焼けがひろがった。(略)血を流したように濃い華麗な夕映えが西空を染めた。私たちは声もなく立ちつくして赤い光を見つめた。 — 野呂邦暢、『失われた兵士たち』14頁

健康への影響

編集

原爆傷害調査委員会(ABCC)は1950年代から被爆状況に関する面接調査を行っており、その設問として「黒い雨」に遭ったかどうかを質問していた。このことは2011年に放射線影響研究所により明らかにされデータの整理が行われていたが、2012年12月になり、広島において黒い雨を浴びた被爆者と浴びなかった被爆者ではガンおよび白血病の罹患率に有為な差はなかったことが発表された。長崎のデータでは雨に遭った被爆者は遭わなかった被爆者にくらべ死亡率が30%高かったが、雨にあった被爆者数が遭わなかった被爆者数に比べはるかに少ないため結論を下すことが出来ないとされた[20]

関連作品

編集

広島での被爆をテーマにした井伏鱒二の『黒い雨』という小説が知られる。1965年新潮』で連載された。当初は『姪の結婚』という題であったが、連載途中で『黒い雨』に変わった。この作品は重松静馬著『重松日記』を原資料とし創作を加えたもので、今村昌平監督のもと1989年に同名の『黒い雨』として映画化された。

長崎では、林京子の文学作品[11]ノーベル化学賞を受賞した下村脩の著書[21]などがある。

2011年3月に発生した福島第一原子力発電所事故に絡んで、日本のシンガーソングライター斉藤和義が原発批判ソング「ずっとウソだった」を同年翌月にYouTubeで公開し、この歌詞の中で「黒い雨」に触れている。

脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ 写真の中に、次の説明文が「焼き込み」として記載されている。

    20AF(5SBM17 - 101 H-20)(8-9-1155)(6”-30,000’)
    (32°45’N-129”52’E)(NAGASAKI)(7297)TOP SECRET

    "TOP SECRET"の部分は取り消し横線が引かれている。
    "20AF"は第20航空軍、"5SBM"は「1945年、“Special Bombing Mission”(特殊爆撃任務)」を意味する。"5SBM17"は"5SBM16"の間違い。原爆投下命令は、"Mission16"だった。
    このページの他の掲載写真から「101 H-20」が写真番号である。
    (8-9-1155)は8月9日11時55分。
    (6”-30,000’)の"6”"はカメラの焦点距離が6インチ(156mm)を表す。
    "30,000’"は高度30,000フィート(約9000m)を表す。
    (32°45’N-129”52’E)(NAGASAKI)[19]
    (7297)は原爆を投下したB-29爆撃機ボックスカーの機体番号。

出典

編集
  1. ^ 核実験 - 機密にされた軍の文書館 フランスが決して告白しようとしなかったこと ヴァンサン・ジョーヴェール、『ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』1998年2月5日-11日号
  2. ^ 核は大地に刻まれていた〜“死の灰” 消えぬ脅威〜(NHKスペシャル)、日本放送協会、2009年8月6日放送
  3. ^ 高蔵信子; 広島平和記念資料館 (1945年8月6日). “喉が渇き黒い雨を口で受ける女性”. https://www.chugoku-np.co.jp/. 広島平和記念資料館. 2023年9月10日閲覧。
  4. ^ 広島原爆の「黒い雨」、国指定地域より広範囲かasahi.com2010年1月26日閲覧。[リンク切れ]
  5. ^ 山本政儀他「広島原爆投下1-3年後に建築された家屋の床下土壌中の137Cs 測定: 広島原爆由来フォールアウトの降下量と分布を評価するための試み」『広島原爆“黒い雨”にともなう放射性降下物に関する研究の現状』 2010年5月、79頁。2023年9月10日閲覧。
  6. ^ 被爆65年 「黒い雨」に迫る <3> 新たな証拠中国新聞2010年7月7日2012年8月6日閲覧。
  7. ^ 広島市が「黒い雨」シミュレーション、降下範囲解明へ読売新聞2010年2月17日閲覧。[リンク切れ]
  8. ^ 黒い雨:厚労省WG報告書「地域確定困難」、毎日新聞、2012年1月20日[リンク切れ]
  9. ^ a b 長崎原爆資料館 2006, pp. 243–253.
  10. ^ 長崎市役所 1984.
  11. ^ a b 林京子 1988.
  12. ^ 下村脩『クラゲに学ぶ ノーベル賞への道』長崎文献社、2010年11月1日。 
  13. ^ 長崎原爆資料館 2006, p. 245.
  14. ^ a b 長崎原爆資料館b 2023.
  15. ^ a b 長崎市役所 1984, pp. 63–75.
  16. ^ NHKスペシャル取材班 2023, p. 12 - 13.
  17. ^ NHKスペシャル取材班 2023, p. 52 - 57.
  18. ^ 工藤洋三・金子力 2013, p. 175.
  19. ^ Google Maps – 黒い雨 (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc. 2023年9月10日閲覧
  20. ^ 「黒い雨」がんリスクに差なし 放影研が解析結果発表、2012年12月8日
  21. ^ 下村脩 2010.

参考文献

編集
  • NHKスペシャル取材班『原爆初動調査 隠された真実』 012巻、早川書房〈ハヤカワ新書〉、2023年8月25日。ISBN 978-4-15-340012-2 
  • 工藤洋三、金子力『原爆投下部隊 第509混成群団と原爆・パンプキン』大村印刷、2013年8月1日。ISBN 978-4-9907248-1-8 
  • 下村脩『クラゲに学ぶ ノーベル賞への道』長崎文献社、2010年11月1日。 
  • 田村和之、竹森雅泰・湯浅正恵・向井均・増田善信・矢ヶ﨑克馬・大瀧慈 著、田村和之・竹森雅泰 編『原爆「黒い雨」訴訟』本の泉社、2023年6月30日。ISBN 978-4-7807-2245-1 
  • 長崎原爆資料館 編『長崎原爆戦災誌 第一巻 総説編改訂版』長崎市、2006年3月31日。 
  • 長崎市役所 編『長崎原爆戦災誌 第四巻 学術編』長崎国際文化会館、1984年3月。 
  • 長崎の黒い雨等に関する専門家会議 (2022年7月). “長崎の黒い雨等に関する専門家会議 報告書” (PDF). https://www.vidro.gr.jp/. 長崎県保険医協会. 2023年9月1日閲覧。
  • 林京子『祭りの場・ギヤマンビードロ』川西政明、講談社〈講談社文芸文庫〉、1988年8月4日。 
  • 広島“黒い雨”放射能研究会 編『広島原爆“黒い雨”にともなう放射性降下物に関する研究の現状』(PDF)第一種健康診断特例区域等の検証に関する検討会、厚生労働省、2010年5月https://www.mhlw.go.jp/content/10901000/000694132.pdf2023年9月10日閲覧 
  • 野呂邦暢『失われた兵士たち 戦争文学試論』文藝春秋〈文春学芸ライブラリー〉、2015年6月20日。 

関連項目

編集

外部リンク

編集