歌川芳鳥女

江戸時代末期の女性浮世絵師
鳥女から転送)

歌川 芳鳥女(うたがわ よしとりじょ、天保10年〈1839年[1] - 没年不明)とは、江戸時代末期の浮世絵師

歌川芳鳥女
ヒト
性別女性 編集
国籍日本 編集
母語表記歌川芳鳥女 編集
トリ 編集
歌川 編集
読み仮名うたがわ よしとりじょ 編集
生年月日1839 編集
死亡年月日不明な値 編集
歌川国芳 編集
職業浮世絵師 編集

来歴

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歌川国芳の門人でその長女。名は鳥、または登鯉。芳鳥女、国芳女登里、登理女と称し、一燕斎と号す。作画期は嘉永から文久にかけての頃で、作は合巻や読本の挿絵及び若干の錦絵が知られる。錦絵の作は父国芳が描いた「山海愛度図会」のなかの左上部のコマ絵がある。安政2年(1855年)には吉原の万灯に一ツ家の老婆の図を描いた。日本橋新場の魚商茶屋伊之助に嫁いだが、若くして没したという。

作品

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  • 金毘羅利生伝記』 合巻 ※仮名垣魯文作、安政4年(1857年)刊行
  • 春色連理の梅』 人情本 ※梅暮里谷峩作、安政5年刊行。四編、五編の挿絵を描く。
  • 甲斐名所すこ六」 双六絵 国立国会図書館所蔵 ※国芳、歌川芳丸歌川芳藤他との合作。「甲斐の駒」に「国芳女十才とり女画」の落款あり
  • 「さん海愛度図会 十六 あとが聞たい 泉州飯蛸」 大判錦絵 フェレンツ・ホップ東洋美術館所蔵 ※嘉永5年。国芳との合作
  • 「山海愛度図会 廿八 たんと釣たい 尾張焼物」 大判錦絵 フェレンツ・ホップ東洋美術館所蔵 ※同上
  • 山海愛度図会 卅三 よい日をおがみたい 出雲はち蜜」 大判錦絵 早稲田大学演劇博物館所蔵 ※同上
  • 「山海目出鯛図会 五十二 あたまがいたい さつまやき物」 大判錦絵 フェレンツ・ホップ東洋美術館所蔵 ※同上
  • 「山海めで度図会 五十九 一枝もらいたい 安房かつを」 大判錦絵 フェレンツ・ホップ東洋美術館所蔵 ※同上
  • 「武者人形組立ノ図」 大判錦絵

脚注

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  1. ^ 『はじまりは国芳 江戸スピリットのゆくえ』164頁。

参考文献

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  • 日本浮世絵協会編『原色浮世絵大百科事典』(第2巻)、大修館書店、1982年
  • 浮世絵太田記念美術館編『歌川国芳とその一門展』、太田記念美術館、1990年
  • 飯島虚心『浮世絵師歌川列伝』〈『中公文庫』〉、中央公論社、1993年 ※玉林晴朗校訂
  • 国際日本文化研究センター編『フェレンツ・ホップ東洋美術館所蔵日本美術品図録』、国際日本文化研究センター、1995年
  • 柏木智雄・内山淳子・片多祐子『はじまりは国芳 江戸スピリットのゆくえ』、大修館書店、2012年 ※横浜美術館企画・監修
  • 日野原健司「歌川国芳の娘たち -芳鳥・芳女の生涯と画業-」、『太田記念美術館紀要 浮世絵研究』第10号、2019年

関連項目

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