高田 利貞(たかだ としさだ、1890年明治23年)3月30日[1] - 1957年昭和32年)12月25日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。

高田 利貞
生誕 1890年3月30日
日本の旗 日本 鹿児島県
死没 (1957-12-25) 1957年12月25日(67歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1913年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
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経歴

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1890年(明治23年)に鹿児島県で生まれた[1]陸軍士官学校第25期卒業[1]1938年(昭和13年)7月15日陸軍歩兵大佐進級と同時に第1軍高級副官に就任し[2]日中戦争に出動した[1]1939年(昭和14年)11月に河南省特務機関長に転じ[2]、情報戦を指揮した[1]1941年(昭和16年)8月には歩兵第138連隊長(第13軍第116師団・歩兵第130旅団)に就任し[1][2]、兵站基地である安慶の守備に任じた[1]

1943年(昭和18年)3月1日に陸軍少将進級と同時に留守第2師団司令部附となり[1][2]4月15日東京陸軍少年飛行兵学校長に就任した[1]1944年(昭和19年)7月12日に編制された独立混成第64旅団(第16方面軍第32軍[3]の旅団長に7月14日に就任[1]徳之島に司令部を置き[1]奄美群島の守備に任じた[1]沖縄戦では航空基地の整備や防空戦闘などで第6航空軍に協力[1]。第32軍への連絡、補給などの中継などでも貢献した[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 福川 2001, 421頁.
  2. ^ a b c d 外山 1981, 340頁.
  3. ^ 藤井 2020, 184頁.
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」163頁。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
  • 藤井非三四 著『知られざる兵団 帝国陸軍独立混成旅団史』国書刊行会、2020年。ISBN 4336065977