高木美智代
日本の政治家
高木 美智代(たかぎ みちよ、1952年9月13日 - )は、日本の政治家。公明党アドバイザー。
高木 美智代 たかぎ みちよ | |
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生年月日 | 1952年9月13日(72歳) |
出生地 | 日本 福岡県北九州市 |
出身校 | 創価大学文学部 |
前職 |
聖教新聞記者 団体職員 |
所属政党 | 公明党 |
公式サイト | 高木美智代 公式サイト |
選挙区 | 比例東京ブロック |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 2003年 - 2021年 |
衆議院議員(6期)、経済産業大臣政務官(第1次安倍内閣)、厚生労働副大臣(第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣)などを歴任した。
経歴
編集- 1952年(昭和27年)9月13日 - 福岡県北九州市に生まれる[1]。
- 北九州市立菊陵中学校卒業[1]。
- 福岡県立小倉高校卒業。高校時代は大学紛争の時代で政治に関心を向けていた[1]。
- 創立者の池田大作を尊敬していたことから、1971年(昭和46年)に開学した創価大学に1期生として入学した[1]。
- 1975年(昭和50年)3月 - 創価大学文学部卒業。
- 卒業後に聖教新聞記者になる[1]。
- 2003年(平成15年)- 11月9日 第43回衆議院議員総選挙に比例東京ブロックで公明党から立候補し初当選。
- 2005年(平成17年)- 9月11日 第44回衆議院議員総選挙で再選。
- 2006年(平成18年)- 9月27日 安倍内閣の経済産業大臣政務官に就任。
- 2009年(平成21年)
- 8月30日 - 第45回衆議院議員総選挙で3選。
- 10月 - 青少年問題に関する特別委員会委員長に就任。
- 2010年(平成22年)9月 - 青少年問題に関する特別委員会委員長を退任。
- 2012年(平成24年)12月16日 - 第46回衆議院議員総選挙で4選。
- 2014年(平成26年)12月14日 - 第47回衆議院議員総選挙で5選。
- 2015年(平成28年)8月15日に在日本大韓民国民団主催の第70周年光復節中央記念式典に出席した[2]。
- 2017年(平成29年)
- 8月7日 - 第3次安倍第3次改造内閣の厚生労働副大臣に就任。
- 10月22日 - 第48回衆議院議員総選挙で6選。
- 2021年(令和3年)10月14日 - 衆議院解散に当たり第49回衆議院議員総選挙に立候補せず政界引退。公明党アドバイザーに就任[3]。
役職歴
編集内閣
編集衆議院
編集- 青少年問題に関する特別委員会委員長
- 経済産業委員会委員長
- 内閣委員会理事
- 厚生労働委員会理事
- 東日本大震災復興特別委員会理事
公明党
編集政策
編集議員立法
編集在任中に携わり成立した議員立法は25本にのぼる。
- 子育て支援、児童虐待防止(議員立法へ)
- 女性活躍を推進(法案化)
- 発達障がい児者支援(議員立法へ・改正も)
- 障がい者の虐待防止(議員立法へ)
- 障がい者の親亡き後のために成年後見制度利活用を推進(議員立法へ)
- 環境配慮と健康のため安全な自転車利用活用を推進(議員立法へ)
- 都市農業振興を推進(議員立法へ)
- 国外犯罪被害者支援制度を創設(議員立法へ)
主張・活動
編集主な所属議員連盟
編集関連項目
編集脚注
編集- ^ a b c d e f http://www.michiyo-t.com/profile/
- ^ 第70周年 光復節中央記念式典 東京韓国商工会議所
- ^ “党概要/公明党について 常任顧問・顧問”. 公明党. 2021年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月6日閲覧。
- ^ 2014衆院選 毎日新聞候補者アンケート
- ^ mネット:選択夫婦別姓アンケート(2014年)
- ^ 民法改正を求める緊急院内集会 2005年3月10日
- ^ 高木政調副会長「ヘイトスピーチは何としても根絶」 民団新年会で訴え
- ^ 政治分野における女性の参画と活躍を推進する議員連盟(発起人)
外部リンク
編集議会 | ||
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先代 江田康幸 |
衆議院経済産業委員長 2016年 |
次代 浮島智子 |
先代 池坊保子 |
衆議院青少年問題に関する特別委員長 2009年 - 2010年 |
次代 稲津久 |
公職 | ||
先代 橋本岳 古屋範子 |
厚生労働副大臣 牧原秀樹と共同 2017年 - 2018年 |
次代 大口善徳 髙階恵美子 |
先代 片山さつき 小林温 |
経済産業大臣政務官 松山政司と共同 2006年 - 2007年 |
次代 荻原健司 山本香苗 |