駐日ロシア大使
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駐日ロシア大使(ちゅうにちロシアたいし)とは、ロシア連邦政府が派遣した日本に駐在するロシアの特命全権大使。
本項ではロシア帝国以降について記述する。
日露外交関係年表
編集- 1855年2月7日(安政元年12月21日) - 日本とロシア帝国が日露和親条約に調印し、外交関係を樹立。
- 1858年(安政4年・安政5年) - 函館(現:北海道函館市)にロシア領事館が開設される[1]。
- 1871年(明治4年) - 横浜(現:神奈川県横浜市にロシア政府代表部が開設される。
- 1875年(明治8年) - ロシア政府代表部が横浜から東京に移転。
- 1904年(明治37年)2月5日(ユリウス暦1月23日) - 日本がロシア帝国に国交断絶を通告、2月8日に日露戦争勃発。
- 1905年(明治38年)9月5日(ユリウス暦8月23日) - ポーツマス条約に調印、11月25日の同条約発効により外交関係を回復。
- 1908年(明治41年) - ロシア政府代表部が大使館に格上げ。
- 1917年(大正6年)11月8日(ユリウス暦10月26日) - 十月革命(ロシア革命)により外交関係が中断。
- 1925年(大正14年)2月25日 - 日ソ基本条約が批准され、ソ連との大使レベルの外交関係を樹立。
- 1945年(昭和20年)8月9日 - ソビエト連邦が日ソ中立条約を破棄し対日宣戦布告を行い(ソ連対日参戦)、外交関係が中断。
- 1956年(昭和31年)10月19日 - 日ソ共同宣言が発表され、ソビエト社会主義共和国連邦(現:ロシア連邦)との大使レベルの外交関係を回復。
- 1991年(平成3年)12月25日 - ソビエト連邦の崩壊および継承国のロシア連邦樹立に伴い、「駐日ソビエト連邦大使館」が「駐日ロシア連邦大使館」となり(現在の所在地:東京都港区麻布台2-1-1)、ルドヴィグ・チジョフ第16代駐日ソビエト連邦大使が、初代駐日ロシア連邦大使として就任。
- 2018年(平成30年)1月29日 - ミハイル・ガルージン、第6代駐日ロシア連邦大使(現職)に就任。
歴代大使
編集駐日ロシア帝国大使
編集代 | 氏名 | 着任 | 退任 | 備考 |
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1 | エフゲニー・ビュチョフ | 1871年1月1日 (明治3年11月11日) |
1873年(明治6年)5月15日 | 代理公使・総領事 |
2 | キリル・シュトルーベ | 1873年(明治6年)5月15日 | 1882年(明治15年)1月12日 | 代理公使・総領事: ~1874年(明治7年)12月3日 弁理公使: 1874年(明治7年)12月3日 ~1876年(明治9年)7月1日 特命全権公使: 1876年(明治9年)7月1日~ |
- | ロマン・ローゼン | 1877年(明治10年)11月22日 | 1879年(明治12年)8月12日 | 代理公使 |
3 | ミハイル・バルトロメイ | 1882年(明治15年)1月12日 | 1882年(明治15年)11月30日 | 特命全権公使 |
4 | アレクサンドル・ダヴィドフ | 1883年(明治16年)4月10日 | 1885年(明治18年)11月20日 | 特命全権公使 |
5 | ドミトリー・シェービチ | 1886年(明治19年)1月28日 | 1892年(明治25年)7月28日 | 特命全権公使 |
6 | ミハイル・ヒトロヴォ | 1892年(明治25年)7月28日 | 1896年(明治29年)6月30日 | 特命全権公使 |
- | アレクセイ・シュペイエル | 1896年(明治29年)2月25日 | 1897年(明治30年)11月6日 | 代理公使 |
7 | ロマン・ローゼン | 1897年(明治30年)2月4日 | 1899年(明治32年)11月18日 | 特命全権公使 |
8 | アレクサンドル・イズヴォリスキー | 1899年(明治32年)11月18日 | 1902年(明治35年)10月24日 | 特命全権公使 |
9 | ロマン・ローゼン | 1902年(明治35年) | 1904年(明治37年)1月28日 | 特命全権公使 |
国交断絶状態 (日露戦争開戦~ポーツマス条約発効) |
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10 | ユーリ・フメーチェフ | 1906年(明治39年) | 1908年(明治41年) | 特命全権公使 |
11 | ニコライ・マレフスキー=マレヴィチ | 1908年(明治41年) | 1916年(大正5年) | |
12 | ヴァシーリー・クルペンスキー | 1916年(大正5年) | 1917年(大正6年)3月3日 |
駐日ロシア臨時政府大使
編集1917年(大正6年)11月8日にロシア帝国で十月革命が起こったことにより、外交関係は中断している。
代 | 氏名 | 着任 | 退任 | 備考 |
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1 | ヴァシーリー・クルペンスキー | 1917年(大正6年) | 1921年(大正10年) | 特命全権大使 |
- | ドミトリー・アブリコソフ | 1921年(大正10年) | 1925年(大正14年) | 代理公使 |
駐日ソビエト連邦大使
編集代 | 氏名 | 着任 | 退任 | 備考 |
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1 | ヴィクトル・コップ | 1925年(大正14年)2月25日 | 1927年(昭和2年)1月31日 | 全権代表 |
2 | ヴァレリヤン・ドヴガレフスキー | 1927年(昭和2年)3月5日 | 1927年(昭和2年)10月21日 | 全権代表 |
3 | アレクサンドル・トロヤノスキー | 1927年(昭和2年)11月14日 | 1933年(昭和8年)1月24日 | 全権代表 |
4 | コンスタンチン・ユレーネフ | 1933年(昭和8年)1月29日 | 1937年(昭和12年)6月16日 | 全権代表 |
5 | ミハイル・スラヴツキー | 1937年(昭和12年)7月27日 | 1939年(昭和14年)9月29日 | 全権代表 |
6 | コンスタンチン・スメタニン | 1939年(昭和14年)9月29日 | 1942年(昭和17年)5月28日 | 全権代表(~1941年5月9日) 特命全権大使(1941年5月9日~) |
7 | ヤコフ・マリク | 1942年(昭和17年)5月28日 | 1945年(昭和20年)8月9日 | |
国交断絶状態 (ソ連対日参戦~日ソ共同宣言発効) |
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8 | イヴァン・テヴォシアン | 1956年(昭和31年)12月30日 | 1958年(昭和33年)3月30日 | |
9 | ニコライ・フェドレンコ | 1958年(昭和33年)6月15日 | 1962年(昭和37年)7月16日 | |
10 | ウラジーミル・ヴィノグラードフ | 1962年(昭和37年)7月16日 | 1967年(昭和42年)4月3日 | |
11 | オレグ・トロヤノスキー | 1967年(昭和42年)4月3日 | 1976年(昭和51年)4月17日 | |
12 | ドミトリー・ポリャンスキー | 1976年(昭和51年)4月17日 | 1982年(昭和57年)2月11日 | |
13 | ウラジーミル・パブロフ | 1982年(昭和57年)2月11日 | 1985年(昭和60年)2月27日 | |
14 | ピョートル・アブラシモフ | 1985年(昭和60年)2月27日 | 1986年(昭和61年)5月13日 | |
15 | ニコライ・ソロフィエフ | 1986年(昭和61年)5月13日 | 1990年(平成2年)8月7日 | |
16 | ルドヴィグ・チジョフ | 1990年(平成2年)8月7日 | 1991年(平成3年)12月25日 |
駐日ロシア連邦大使
編集代 | 氏名 | 着任 | 退任 | 備考 |
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1 | ルドヴィグ・チジョフ | 1991年(平成3年)12月25日 | 1996年(平成8年)9月6日 | |
2 | アレクサンドル・パノフ | 1996年(平成8年)9月6日 | 2003年(平成15年)12月25日 | |
3 | アレクサンドル・ロシュコフ | 2004年(平成16年)3月2日 | 2006年(平成18年)12月28日 | |
4 | ミハイル・ベールイ | 2006年(平成18年)12月28日 | 2012年(平成24年)2月20日 | |
5 | エフゲニー・アファナーシエフ | 2012年(平成24年)2月20日 | 2018年(平成30年)1月29日 | |
6 | ミハイル・ガルージン | 2018年(平成30年)1月29日 | 2022年(令和4年)11月16日 | |
- | ゲンナーディー・オヴェチコ | 2022年(令和4年)11月16日 | 2024年(令和6年)1月19日 | 臨時代理大使 |
7 | ニコライ・ノズドリェフ | 2024年(令和6年)1月19日 | (現職) |
脚注
編集- ^ 倉田 有佳. “函館のソ連領事館と日本人職員”. 函館日ロ交流史研究会. 2011年9月24日閲覧。