風雲児女
『風雲児女』(ふううんじじょ、日本語: 嵐の中の若者たち[1])は1935年に撮影された中国映画である。
風雲児女 | |
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ポスター | |
タイトル表記 | |
繁体字 | 風雲兒女 |
簡体字 | 风云儿女 |
拼音 | fēngyún érnǚ |
注音符号 | ㄈㄥㄩㄣˊ ㄦˊㄋㄩˇ |
英題 | Children of Troubled Times |
各種情報 | |
監督 | 許幸之 |
脚本 | 田漢 |
製作総指揮 | 馬徳建 |
出演者 |
袁牧之 王人美 談瑛 |
音楽 | 聶耳 |
主題歌 | 「義勇軍進行曲」 |
撮影 | 呉印咸 |
上映時間 | 89分 |
製作国 | 中華民国 |
言語 | 国語 |
概要
編集1934年の夏に司徒逸民、龔毓珂、馬德建らの左派系文化人が集まって作った電通影片公司という映画会社が「風雲児女」の制作会社である。同社は1935年末に解散するまでに「桃李劫」「風雲児女」「自由神」「都市風光」の四本の作品を世に送り出していて、「風雲児女」は会社が創立されてから2本目の作品であった[2]。
1930年代に制作された上海映画の作品群の中では一際影響が大きく、主題歌の「義勇軍進行曲」は 瞬く間に全国で歌われるようになり[3]、後に中華人民共和国の国歌になった。
脚注
編集- ^ “中日を結んだ天才音楽家 聶耳”. www.china-embassy.or.jp. 2021年7月20日閲覧。
- ^ 久保亨 (2015). “一九三〇年代の中国と日中経済関係─国歌になる歌が生まれた時代─”. 経済史研究.
- ^ “『人民中国』”. www.peopleschina.com. 2021年7月20日閲覧。