青山寛
大日本帝国陸軍軍人
青山 寛(あおやま ひろし、1875年(明治8年)9月19日[1] - 1946年(昭和21年)[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
青山 寛 | |
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生誕 |
1875年9月19日 日本 愛知県 |
死没 | 1946年 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1896年 - 1928年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴・人物
編集愛知県[1][3]愛知郡長湫村[2](現長久手市)で、青山甚兵衛の長男として生まれる[2]。1896年(明治29年)陸軍士官学校第8期卒業[1][3]。日露戦争に出征[2]。
1917年(大正6年)8月に大阪連隊区司令官、1919年(大正8年)7月に陸軍歩兵大佐、1920年(大正9年)8月に近衛歩兵第4連隊長を経て、1924年(大正13年)2月に陸軍少将・第10師団司令部附となる[1][3]。その後、1925年(大正14年)4月に歩兵第22旅団長を経て、1928年(昭和3年)3月8日に待命、同月29日に予備役に編入した[1][3]。
栄典
編集脚注
編集参考文献
編集- 愛知県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会編『角川日本姓氏歴史人名大辞典23 愛知県』角川書店、1991年。ISBN 4-04-002230-0。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。