霊鑑寺
霊鑑寺(れいかんじ)は、京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町にある臨済宗南禅寺派の寺院。山号は円成山。本尊は如意輪観音。近世には皇女が入寺する尼門跡寺院であった。谷御所(たにのごしよ)、椿の寺とも呼ばれる。
霊鑑寺 | |
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所在地 | 京都府京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町12 |
位置 | 北緯35度1分14.4秒 東経135度47分46.7秒 / 北緯35.020667度 東経135.796306度座標: 北緯35度1分14.4秒 東経135度47分46.7秒 / 北緯35.020667度 東経135.796306度 |
山号 | 円成山 |
宗派 | 臨済宗南禅寺派 |
本尊 | 如意輪観音 |
創建年 | 承応3年(1654年) |
開山 | 宗澄尼(多利宮宗澄女王) |
開基 | 後水尾上皇 |
別称 | 谷御所、鹿ヶ谷比丘尼御所、椿の寺 |
札所等 | 洛陽十二支妙見めぐり・卯(東) |
文化財 |
本堂、書院、玄関(市指定有形文化財) 日光椿(市指定天然記念物) |
法人番号 | 1130005001095 |
歴史
編集当寺は、そもそもは後陽成天皇の典侍であった持明院基子の隠居所であった。その後、寛永20年(1643年)に基子の希望により後水尾上皇によって寺院に改修されることが決められ、翌正保元年(1644年)には上皇の娘である宗澄女王が入り、寺院化が進められた。
承応3年(1654年)5月に霊鑑寺と寺名が付けられると、女王は得度して宗澄尼と号した。以降尼門跡として5人の皇女が入室している。
御所人形が約200点ほど伝わっており、皇室ゆかりの寺宝も多い。また、後水尾上皇が椿を好まれたことから、庭園には100種類以上の椿が植えられている。なかでも日光(じっこう)椿は京都市指定天然記念物として有名である。
境内
編集- 本堂(京都市指定有形文化財) - 江戸幕府第11代将軍徳川家斉により寄進されたもの。
- 書院(京都市指定有形文化財) - 江戸時代初期に京都御所にあった後西天皇の仙洞御所の御休息所を貞享2年(1685年)に移築したもの。狩野元信、狩野永徳、丸山応挙の襖絵がある。
- 庭園 - 池泉観賞式庭園。江戸時代中期の作庭。
- 庫裏
- 玄関(京都市指定有形文化財) - 江戸時代初期に京都御所にあった後西天皇の仙洞御所の御番所を貞享2年(1685年)に移築したもの。
- 山門
- 妙見宮 - 妙見菩薩と不動明王を祀る。洛陽十二支妙見めぐり・卯(東)の札所。
- 霊鑑寺宮墓地 - 境内の南にある飛び地で宮内庁の管理下にある。ノートルダム女学院中学校・高等学校の裏にある。
文化財
編集京都市指定有形文化財
編集- 本堂
- 書院
- 玄関
京都市指定天然記念物
編集- 日光椿
前後の札所
編集- 洛陽十二支妙見めぐり・卯(東)