阿部 正包(あべ まさかね)は、江戸時代中期の旗本越前鯖江藩間部詮方の子。初めは間部方孝(みちたか)と名乗り、旗本の阿部正恭の養子となってから正包に改名した。

 
阿部正包
時代 江戸時代中期
生誕 宝暦11年(1761年
死没 文化5年7月20日1808年9月10日
改名 間部方孝→阿部正包
別名 清之丞、音門(致仕号)
幕府 江戸幕府 小姓
氏族 間部氏→阿部氏
父母 父:間部詮方、養父:阿部正恭
兄弟 間部詮央間部詮茂佐久間信邦間部方元田中方親間部方宣間部方喬阿部正包、他。
阿部正恭の養女(阿部正実の娘)
正永
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間部詮方の十一男として生まれる。阿部正恭の末期養子に入り、安永8年(1779年)9月6日に阿部家の家督を継ぐ。同年12月5日、将軍徳川家治にはじめて御目見する。天明5年12月22日(1786年)、江戸城西丸小姓となり、翌年閏10月20日、本丸勤めに異動する。寛政元年(1789年)10月20日に辞職、翌年4月25日に隠居して音門と名乗った。

文化5年(1808年)7月20日に48歳で亡くなる。家督は実子の正永が継いだ。

参考文献

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