関八州古戦録』(かんはっしゅうこせんろく)[1]は、江戸時代軍記物享保11年(1726年)に成立。全20巻。著者は槙島昭武。『関東古戦録』とも呼ばれる[2]

概要

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戦国時代関東地方における合戦外交情勢について記されており、天文15年(1546年)の河越夜戦から天正18年の後北条氏滅亡までの関東における大小の合戦を詳細に扱っている[3]

関東各地に埋もれている戦記類をたんねんに集めたもので、その他の軍記物に比すると、語りものの調子を避け歴史をそのままに伝えようとしている姿勢が強い。それゆえか歴史的あやまりは少ないとされている[4]。しかし近年の研究では、『河越夜戦』や『小田井原の戦い』などについて、一次史料にない誇張や創作が多く見られると指摘されるようになっている。

同書は実証的戦国時代史研究において原資料に基づいた良質な内容も認められるが、その他軍記物類の影響も見られるので、近世近代に比べて古文書日記などの同時代史料の少ない戦国時代の研究において、史料批判を行なった上で使用される。

その他

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  • 近代における刊行は明治14年刊の『史籍集覧』内で、翌12月に『関東古戦録』として発行されている[5]
  • 刊本には、新人物往来社刊『関八州古戦録』など。
  • 著者である槇島昭武は越後流の軍学書『北越軍談』も著している[6]

脚注

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  1. ^ 当時の漢字では「關八洲古戰籙」。
  2. ^ 槇島自身は自序の「標題」で「関東古戦録」と記しているため、こちらの呼称の方が通っている。参考・久保田順一訳 『関東古戦録 上巻』 あかぎ出版 第2刷2007年(1刷2002年) p12.
  3. ^ 「標題」に「天文に起こり、天正で終わる。名付けて関東古戦録」と記述されている。
  4. ^ 「標題」において、槇島は個々の事実を重視し、歴史の中の善悪を示し、人々に手本を示すと記しており、『太平記』を見本としているとみられる。ただし、儒教的な歴史観に基づいて個々を解釈しようとする傾向にはある。参考・久保田順一訳 『関東古戦録 上巻』 p.13.
  5. ^ 久保田順一訳 『関東古戦録』 p.12.
  6. ^ 久保田順一訳 『関東古戦録』 p.13.