長久保裕
長久保 裕(ながくぼ ひろし、1946年12月14日[1] - )は、日本の元フィギュアスケート選手、フィギュアスケートコーチ。1972年札幌オリンピック代表。
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生誕 |
1946年12月14日(78歳) 山梨県 | |||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||
代表国 | 日本 | |||||||||||||
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経歴
編集山梨県出身[1]。山梨大学附属中学校、山梨県立甲府第一高等学校、日本大学卒業[1]。1966年、全日本フィギュアスケートジュニア選手権男子シングルで優勝。1967年から1971年まで、長沢琴枝とともに全日本フィギュアスケート選手権ペア5連覇。1972年札幌オリンピックでペア16位に入った。
競技を引退してからは千葉・新松戸で指導者となる[1]。1988年から仙台市の「泉DLLアカデミー」のコーチとなる[1]。この頃、仙台には及川史弘がいた。その後、長久保に師事すべく各地から有望選手が集まり、1998年長野オリンピックには本田武史、田村岳斗、荒川静香、荒井万里絵と4人の教え子が出場した[2]。
2006年4月、仙台のリンクが閉鎖するのに伴い、名古屋市にある邦和スポーツランドの専属コーチとなる。仙台で長久保に師事していた有望選手数人も、長久保とともに名古屋市に拠点を移した。2009年2月、胃癌の手術を受け、手術は成功し回復に向かう。その後、本郷理華、日野龍樹らをコーチし、日本フィギュアスケーティングインストラクター協会副理事長も務める。
2017年9月、「家族の事情で長期の休みが必要となったため」として邦和スポーツランドのコーチを退任した[3]。
長久保の教え子でありISUテクニカルコントローラーを務める天野真は長久保について「世界を見渡しても長久保先生ほど(ジャンプを)教えるのが上手な人はいない」と評価している。
主な戦績
編集大会/年 | 1967-68 | 1968-69 | 1969-70 | 1970-71 | 1971-72 |
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オリンピック | 16 | ||||
世界選手権 | 16 | 15 | |||
全日本選手権 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 |
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 長久保裕 - Olympedia
- 日本フィギュアスケーティングインストラクター協会