銀鏡軌道(しろみきどう)は、かつて宮崎県に存在した貨物専業の馬車鉄道・人車軌道。日向軌道終端の二軒橋に近い八重を起点とし、銀鏡との間を結んでいた。
経営は当初組合形式であったが、後に合名会社形式へ変更された。日本で最後まで現存した民営の馬車鉄道路線でもあった[1]。
- 路線距離:八重 - 銀鏡間11.1km[2]
- 軌間:610mm
- 1925年(大正14年) 二軒橋 - 槙ノ鼻間が実質的に開業[3]。
- 1926年(大正15年)5月14日 銀鏡軌道組合に対し軌道特許状下付(児湯郡東米良村大字八重-同郡同村大字銀鏡間 動力馬力)[4]。
- 1926年(大正15年)夏 槙ノ鼻 - 銀鏡間を木村林業[5]から買収し事実上の全通[3]。
- 1932年(昭和7年)1月20日 銀鏡軌道組合として軌道法に基づく正式開業(動力馬力及人力)[6]。
- 1936年(昭和11年)4月20日 合名会社銀鏡軌道に改組[7]。
- 1949年(昭和24年)1月 会社解散に伴い運行休止。実態的には廃止。
- 1949年(昭和24年)5月13日 正式廃止。
東米良村では明治43年に谷口善吉が上揚-征矢抜間(5キロ)、大正8年に木村工業(のちに木村林業に改称[5])が上揚-銀鏡間に森林軌道敷設の記録がある[8]。社長の木村桂七郎は銀鏡軌道組合の組合員であった[4]。
年度
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貨物量(トン)
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営業収入(円)
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営業費(円)
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益金(円)
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その他損金(円)
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無蓋貨車
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1932 |
1,223 |
4,512 |
2,922 |
1,590 |
償却金1,412 |
5
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1933 |
3,199 |
12,366 |
7,237 |
5,129 |
雑損償却金5,009 |
5
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1934 |
3,401 |
14,943 |
9,158 |
5,785 |
雑損償却金5,510 |
7
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1935 |
3,571 |
16,256 |
10,993 |
5,263 |
雑損償却金4,847 |
7
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1936 |
2,750 |
12,134 |
9,237 |
2,897 |
雑損17償却金2,880 |
4
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1937 |
2,799 |
12,384 |
8,427 |
3,957 |
雑損1償却金5,255 |
4
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1939 |
2,988 |
13,417 |
9,547 |
3,870 |
雑損482償却金5,027 |
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1941 |
3,551 |
17,819 |
17,301 |
518 |
雑損2,523退職金1,438 |
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1948 |
1,081 |
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1949 |
1,180 |
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- 鉄道統計資料、鉄道統計、鉄道統計年報、地方鉄道軌道統計年報各年度版