金子安次
来歴
編集千葉県浦安出身。1940年4月、徴兵検査で甲種合格となり、同年秋に召集されて北支那方面軍独立混成第10旅団44大隊に入隊、二等兵として中国に従軍する。1945年の敗戦を中国で迎え5年間シベリアに捕虜として抑留され、その後、中国の撫順戦犯管理所に収容された。ここで6年間の勾留の後、1956年に起訴免除の決定を受けて釈放され、同年、日本に帰国した[2]。中国からの帰還者で組織された中国帰還者連絡会(中帰連)の会員となり、1990年代から、戦地で行った犯罪を証言する活動をはじめた。
年譜
編集証言内容
編集- 1996年9月26日付ジャパンタイムスで「銃撃したり拷問したりして100人以上を私は殺しました。このようなことを決して繰り返してはいけません。」と語った。
- 2007年3月10日テレビ東京のインタビューで「わたしは同僚たちと駐屯地近くの村を回り、女性たちを拉致した」と語った。
- 山東省臨清県の臨清には第59師団隷下の独立歩兵第44大隊が駐留していた。1943年9月に運河にコレラを撒いて堤防を決壊させたと証言している。「44大隊長広瀬利善中佐から、衛河堤防を破壊し解放区を埋没させてコレラ菌を散布せよ、との命令を受けた。当時、重機関銃小隊長小島少尉ら8名は破壊を行い、ほかの者は堤防を守っているかのように装っていた。当時、私は重機関銃分隊上等兵で、その破壊活動に参加し、円匙で50センチ堤防を切り崩した。」[5]
- 女性国際戦犯法廷で慰安婦に関する証言をおこなったが、NHKの番組では鈴木良雄の証言ともどもカットされ放送されなかった[6]。
- 検事役「あなたが見た慰安所というのは、女性たちは自分たちの意志で来ていた人たちですか。」金子「違います。日本には公娼制度というのがあり、それは営業であり金儲けです。しかし、そこで働いている人は、みんな苦しいから働いているんです。金で縛られているから自由に行動できない。そこに慰安婦の慰安婦らしいところがあるんです」
- 検事役「慰安所があることは強姦の防止に役立ったと思いますか。」金子「役立っていません。慰安所にいって1円50銭払うんだったら、強姦だったらただです。我々の月給というのは、だいたい一等兵で8円80銭くらい、上等兵で11円くらい。その中から強制的に貯金をとられるんです。ですから金があまりありませんから、1円50銭払うくらいだったら、作戦にいって強姦をした方がただだというような考えがありました」
- 検事役「あなた自身も、そういう考えの中で強姦に加わったことがありますか。」金子「あります。昭和18年、作戦にまいりました。その時にある部落で若い兵隊が一人の若い女性を連れてきました。21、2歳でしょうか。それを、6人の兵隊でくじ引きをひいて順番を決めて、ひとりひとりその女を輪姦しました。こういう事実がございます。」
- 小林よしのりの『戦争論』を批判して
- 「日本が15年間も続けた中国侵略戦争の中で数々の罪過を犯してきたことは明白な事実である」
- 「小林氏に申したい。ウソはいけない。昔から嘘は泥棒の始まりという。まして『戦争論』の中に出てくる侵略戦争は殺人強盗と同じだ。武器を持って他国に入り物を略奪する逆らえば殺す。『戦争論』を書くなら戦争の怖さや残酷さ、そして悲しさをよく検証して2度とこのような過ちがないように歴史の真実を正確に教えるべきだ」[2]
- 秦郁彦の雑誌での発言[4]を批判して
脚注
編集出典
編集- ^ 撫順の奇蹟を受け継ぐ会会報『前へ前へ』第32号,2010年12月1日
- ^ a b c 熊谷伸一郎『金子さんの戦争——中国戦線の現実』リトルモア、2005年、pp.44ff, 183ff, 211f, 222f頁。ISBN 4-89815-156-6。
- ^ 田辺敏雄『検証旧日本軍の「悪行」——歪められた歴史像を見直す』自由社、2003年。ISBN 4-915237-36-2。
- ^ a b 秦郁彦 (11 1998). “終戦特集を検証する——「空想虚言症」の記憶にさいなまれる『朝日新聞』”. 諸君! 30 (11).
- ^ 731部隊「コレラ作戦」 [1]
- ^ 熊谷伸一郎; 編集部. “NHK・ETV特集から消された戦場の証言”. 季刊中帰連. 2007年12月1日閲覧。