金子哲夫 (野球)
金子 哲夫(かねこ てつお、1941年9月3日 - )は、愛媛県[1]出身の元プロ野球選手。元プロ野球選手の金子準一は実弟。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 愛媛県 |
生年月日 | 1941年9月3日(83歳) |
身長 体重 |
166 cm 63 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1960年 |
初出場 | 1960年6月28日 |
最終出場 | 1960年6月28日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
編集西条高校では1959年に第41回全国高等学校野球選手権大会へ出場[1]。1回戦からエースピッチャーとして登板し、決勝戦まで勝ち進む。
決勝は宇都宮工業高校の大井道夫との投げ合いとなった[2]。試合は当時の甲子園決勝の最長延長記録となる15回まで縺れたが、この回に打線が大井から6点を奪い、8-2で勝利し優勝投手となる[2]。この大会、金子は全5試合を一人で投げぬいた[2]。
1960年に大阪タイガースへ入団し、1年目から1軍のベンチ入りを果たすも、投手層が厚かったためにほとんど投げることができず、1軍では試合前のバッティング練習要員だった[2]。
1961年にはウエスタン・リーグで勝率と防御率のタイトルを獲得したが、リリーフのみで先発としては使ってもらえなかった[2]。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1960 | 大阪 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | .000 | 3 | 0.0 | 3 | 0 | 0 | -- | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | ---- | ---- |
通算:1年 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | .000 | 3 | 0.0 | 3 | 0 | 0 | -- | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | ---- | ---- |
記録
編集背番号
編集- 36 (1960年 - 1962年)
- 13 (1963年)
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 金子哲夫 - NPB.jp 日本野球機構