金剛敏彦
二所ノ関部屋に所属した元力士
金剛 敏彦(こんごう としひこ、1940年9月24日 - 没年不明 )は、二所ノ関部屋に所属した元力士。本名は中島 敏彦(なかじま としひこ)。現在の佐賀県神埼郡吉野ヶ里町出身。182cm、101kg。最高位は東十両10枚目。得意技は左四つ、上手投げ。
経歴
編集三田川中学校では卓球部に所属し、主将を務めて団体優勝した。三養基高校の時に勧誘されたが、その時は勉強に努めたかったので入門の意志は無く、長男との理由で親も反対したが、結局は上京して入門した。1958年3月場所に初土俵。入門後も雪谷高校の夜間部に通って卒業し、地元にある九州大学へ進学を希望したが、力士生活を続けながらの通学は無理なので拓殖大学へ進学した。しかし、1年後に休学した。1963年7月場所に十両昇進。1966年1月場所に幕下に陥落し、この場所限りで廃業。
主な成績
編集- 通算成績:220勝182敗4休 勝率.547
- 十両成績:51勝69敗 勝率.425
- 現役在位:48場所
- 十両在位:8場所
場所別成績
編集一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1958年 (昭和33年) |
x | (前相撲) | 西序ノ口15枚目 3–5 |
東序二段117枚目 6–2 |
西序二段79枚目 4–4 |
東序二段73枚目 7–1 |
1959年 (昭和34年) |
東序二段32枚目 4–4 |
東序二段24枚目 6–2 |
西三段目96枚目 5–3 |
西三段目82枚目 6–2 |
西三段目62枚目 3–5 |
西三段目66枚目 6–2 |
1960年 (昭和35年) |
東三段目31枚目 4–4 |
東三段目26枚目 6–2 |
東幕下83枚目 5–3 |
東幕下68枚目 3–4 |
東幕下76枚目 5–2 |
東幕下61枚目 5–2 |
1961年 (昭和36年) |
東幕下52枚目 6–1 |
西幕下29枚目 6–1 |
西幕下11枚目 5–2 |
西幕下7枚目 1–2–4 |
東幕下22枚目 2–5 |
西幕下34枚目 6–1 |
1962年 (昭和37年) |
東幕下11枚目 3–4 |
東幕下14枚目 5–2 |
東幕下7枚目 2–5 |
西幕下13枚目 3–4 |
西幕下14枚目 5–2 |
東幕下6枚目 2–5 |
1963年 (昭和38年) |
東幕下16枚目 5–2 |
西幕下6枚目 4–3 |
西幕下3枚目 5–2 |
東十両17枚目 9–6 |
西十両12枚目 8–7 |
東十両10枚目 5–10 |
1964年 (昭和39年) |
西十両15枚目 3–12 |
東幕下7枚目 4–3 |
東幕下6枚目 4–3 |
西幕下4枚目 4–3 |
西幕下2枚目 2–5 |
東幕下11枚目 5–2 |
1965年 (昭和40年) |
西幕下3枚目 4–3 |
西幕下筆頭 5–2 |
西十両14枚目 8–7 |
東十両13枚目 8–7 |
東十両11枚目 5–10 |
東十両17枚目 5–10 |
1966年 (昭和41年) |
西幕下5枚目 引退 3–4–0 |
x | x | x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
編集- 中島 敏彦(なかじま としひこ)1958年3月場所 - 1963年5月場所
- 金剛 敏彦(こんごう としひこ)1963年7月場所 - 1965年3月場所
- 金剛 巌(こんごう いわお)1965年5月場所 - 1965年11月場所
- 中島 敏彦(なかじま としひこ)1966年1月場所
参考文献
編集- 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、ISBN 978-4764104709
関連項目
編集外部リンク
編集- 金剛 敏彦 - 相撲レファレンス