野島貫一
大日本帝国陸軍軍人
野島 貫一(のじま かんいち、1868年12月-1869年1月(明治元年11月) - 没年不明[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
野島 貫一 | |
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生誕 |
1868年12月-1869年1月 日本 福岡県 |
死没 | 不明 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1893年 - 1918年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴・人物
編集福岡県出身[1][2][注釈 1]。1893年(明治26年)陸軍士官学校第4期卒業[1][2]。
沖縄警備隊区司令官、八代連隊区司令官を経て、1913年(大正2年)8月に陸軍歩兵大佐・歩兵第27連隊長に任官[1][2]。
その後、1916年(大正5年)4月に歩兵第77連隊長を経て、1918年(大正7年)4月に陸軍少将に昇進と同時に待命、同年8月に予備役に編入した[1][2]。
栄典
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 廃藩置県前の生まれのため筑前国・豊前国・筑後国いずれかの生まれであるが、正確な出身地が不明のため参考文献に従い福岡県とした。
出典
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。