那須義雄
那須 義雄(なす よしお、1897年(明治30年)9月26日[1][注 1] - 1993年(平成5年)11月14日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
編集熊本県出身[1][2][3]。陸軍中佐・那須仙太郎の長男として生まれる[1]。名古屋明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)、名古屋陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1918年(大正7年)5月、陸軍士官学校(30期)を卒業[1][4]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第33連隊付となる[1][4]。1928年(昭和3年)12月、陸軍大学校(40期)を卒業し歩兵第33連隊中隊長に就任[1][3]。
1930年(昭和5年)8月、陸軍戸山学校教官に就任[1]。1931年(昭和6年)3月、陸軍省軍務局課員(兵務課)となり、1933年(昭和8年)8月、歩兵少佐に進級[1]。1934年(昭和9年)8月、人事局課員(補任課)に転じ、関東軍司令部付を経て、1937年(昭和12年)8月、歩兵中佐に昇進し関東軍参謀となる[1][3]。1938年(昭和13年)7月、参謀本部員に転じ、1939年(昭和14年)3月、歩兵大佐に昇進し参謀本部編制動員課長に就任した[1][2][3]。
1940年(昭和15年)8月、人事局補任課長に就任[1][2][3]。1941年(昭和16年)10月、歩兵第56連隊長に発令され太平洋戦争に出征[1][2][3]。マレー作戦、シンガポールの戦いに参戦[2]。1942年(昭和17年)2月、第15軍参謀副長に発令されビルマに転じた[1][2][3]。兼軍政部長、兼軍政監部総務部長も務め、同年10月、兵務局長心得に発令され帰国[1][3]。1943年(昭和18年)3月、陸軍少将に進級し兵務局長に就任[1][2][3]。1945年(昭和20年)4月、大本営参謀を兼務し終戦を迎えた[1]。同年12月、予備役に編入[1]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 『日本陸軍将官辞典』540頁では9月28日。
出典
編集参考文献
編集- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。