遍照寺 (京都市)
京都市右京区にある真言宗御室派の寺院
遍照寺(へんじょうじ)は、京都市右京区嵯峨広沢西裏町にある真言宗御室派の準別格本山の寺院。山号は広沢山。本尊は十一面観音。
遍照寺 | |
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所在地 | 京都府京都市右京区嵯峨広沢西裏町14 |
位置 | 北緯35度1分24.8秒 東経135度41分20.8秒 / 北緯35.023556度 東経135.689111度座標: 北緯35度1分24.8秒 東経135度41分20.8秒 / 北緯35.023556度 東経135.689111度 |
山号 | 広沢山 |
宗派 | 真言宗御室派 |
寺格 | 準別格本山 |
本尊 | 十一面観音(重要文化財) |
創建年 | 永祚元年(989年) |
開山 | 寛朝 |
開基 | 花山天皇(もしくは円融天皇)(勅願) |
別称 | 広沢不動尊 |
札所等 | 京都六大黒天霊場第四番 |
文化財 |
木造十一面観音立像、木造不動明王坐像(重要文化財) 遍照寺旧境内建物跡(市指定史跡) |
法人番号 | 5130005002197 |
歴史
編集寛朝僧正によって、永祚元年(989年)に花山天皇(もしくは円融天皇)の御願によって[1]嵯峨広沢池の湖畔にあった山荘が寺に改められて創建されたという[2]。寛朝僧正は宇多天皇の孫で、成田山新勝寺を開いたことでも知られる。その後、当寺で真言宗広沢流が始められたことから、当寺はその発祥の地とされている[1]。
創建時の場所は広沢池の北西の湖畔[注釈 1]で遍照寺山の麓である。また、観月の名勝としても知られていた[1]。隣接する広沢池には金色の観音菩薩を祀る観音島があった他、池畔には多宝塔・釣殿等・数々の堂宇が並ぶ広大な寺院であったという[2]。また現在も湖畔に兒神社がある。
しかし、寛朝が没すると次第に衰退した。鎌倉時代には後宇多天皇により復興されたが、室町時代の応仁の乱で廃墟と化した[2]。
奇跡的に難を逃れた赤不動明王と十一面観音は草堂に移されて祀られていたが、文政13年(1830年)に舜乗律師により現在地に移されて再興された[2]。
境内
編集文化財
編集重要文化財
編集京都市指定史跡
編集- 遍照寺旧境内建物跡
所在地
編集- 京都府京都市右京区嵯峨広沢西裏町14
アクセス
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 湖畔の建物跡群が史跡に指定されている。