近藤剛
、日本の政治家、実業家
近藤 剛(こんどう たけし、1941年10月30日 - )は、日本の政治家、実業家。
近藤 剛 こんどう たけし | |
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生年月日 | 1941年10月30日(83歳) |
出生地 | 東京都 |
出身校 |
早稲田大学政治経済学部 パリ大学大学院修士課程 |
前職 |
参議院議員 日本道路公団総裁 中日本高速道路株式会社会長 |
現職 | 早稲田大学特命教授 |
所属政党 | 自由民主党 |
選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2001年7月 - 2003年11月 |
人物
編集伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
- 1954年 : 昭島市立昭島小学校卒業
- 1957年 : 昭島市立昭島中学校卒業
- 1960年 : 東京都立第五商業高等学校卒業
- 1964年 : 早稲田大学政治経済学部卒業、伊藤忠商事株式会社に入社
- 1967年 : パリ大学大学院法科修士課程修了
- 1972年 : 伊藤忠商事株式会社欧阿総支配人スタッフ(ロンドン駐在)
- 1978年 : 伊藤忠商事株式会社業務部欧州チーム長
- 1983年 : シアーズ・ワールド・トレード社特別顧問 兼 ペトロリアム・ファイナンス社副社長
- 1985年 : 伊藤忠商事株式会社産業電子機器部次長
- 1987年4月 : 伊藤忠商事株式会社ワシントン事務所長 兼 伊藤忠アメリカ会社シニア・バイス・プレジデント
- 1992年8月 : 伊藤忠商事株式会社政治経済研究所長
- 1996年6月 : 伊藤忠商事株式会社取締役
- 1998年4月 : 伊藤忠商事株式会社常務取締役
- 2000年12月 : 伊藤忠商事株式会社常任顧問
- 2001年7月 : 日本経団連からの推薦を受け、参議院議員選挙において自由民主党から比例区に立候補、初当選。政策的には、当時の小泉純一郎首相の改革路線を支持する立場であった。
- 2003年11月 : 日本道路公団総裁に就任。日本道路公団法第12条の規定により、総裁就任と同時に参議院議員を辞職(藤野公孝が繰り上げ当選)。
- 2005年10月1日 : 日本道路公団の分割民営化により誕生した、中日本高速道路株式会社の初代会長に就任。
- 2006年6月27日 : 中日本高速道路株式会社会長を退任。
- 2007年3月20日 : バーレーン大使(~2009年)
- 2013年6月 : 一般財団法人東亜総研理事長(代表理事・武部勤)
- 早稲田大学特命教授、伊藤忠商事株式会社理事
- 2019年 : 現在に至る。
その他
編集参議院議員時代、経済界出身議員として自身の資金管理団体「政治経済研究所21」が、東京電力の役員ら計約50人から計約200万円の献金を受け取っていたと報じられる[1]。
著書
編集- 『まだ解らないのか米国の通商戦略 通商政策の歴史からみた考察』徳間書店 1994
- 『主張するアメリカ逡巡する日本 日米経済関係の本質』三田出版会 1998
- 『日本完全復活計画』ビジネス社 2001
翻訳
編集- フランシス・フクヤマ, コンダン・オウ『冷戦後の日米同盟 「成熟の歴史」終わりの始まり』徳間書店 1994
関連項目
編集脚注
編集- ^ 電力役員 横並び献金 しんぶん赤旗 2002年9月13日(金)