輜重兵第119連隊
輜重兵第119連隊(しちょうへいだい119れんたい、輜重兵第百十九聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊の一つ。
輜重兵第119連隊 | |
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創設 | 1938年(昭和13年)10月11日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵種/任務 | 輜重兵 |
所在地 | 海拉爾-興安嶺-博克図 |
編成地 | 海拉爾[1] |
通称号/略称 | 宰20478[2] |
補充担任 | 東部軍管区[2] |
最終上級単位 | 第119師団 |
最終位置 | 博克図[1][3] |
戦歴 | 太平洋戦争 |
沿革
編集1944年(昭和19年)10月11日に海拉爾で軍令陸甲第135号下令[1]により、海拉爾方面の国境警備と治安維持を目的に新設された第119師団の輜重兵連隊として編成された。同月28日、野砲兵第23連隊の残留人員、第8国境守備隊および輜重兵第9連隊第1中隊の人員を基幹として編成完結した[1]。兵力補充は東部軍管区で担当した[2]。
1945年(昭和20年)6月1日[1]、師団主力は独立混成旅団を残し興安嶺へ移動を開始[3]。8月9日、ソ連対日参戦と共に海拉爾残留隊は主力部隊に合流[1]。8月16日、興安嶺より後退準備中にソ連軍戦車の追撃を受け戦死者および負傷者を出した[1]。8月17日、博克図にて武装解除となった[1]。
歴代連隊長
編集代 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 備考 |
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1 | 鈴木実[4] | 1944.10.16[4] - | 陸士45期[5] | 少佐[4] |
2 | 坂牛哲[3] | - 終戦[3] | 少佐[3] |
脚注
編集- ^ a b c d e f g h 「陸軍北方部隊略歴(その4) 第4軍/分割1」 アジア歴史資料センター Ref.C12122428600 、昭和38年3月1日。
- ^ a b c 「102.119D 第119師団」 アジア歴史資料センター Ref.C15011175600
- ^ a b c d e 新人物往来社 1991, 192頁.
- ^ a b c 外山、森松 1987, 1091頁.
- ^ 山崎 1990, 242頁.
参考文献
編集- 外山操、森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 山崎正男 編『陸軍士官学校:保存版』(第8)秋元書房、1990年。
- 『日本陸軍機械化部隊総覧』新人物往来社〈別冊歴史読本 特別増刊第41号 戦記シリーズ〉、1991年。