赤沢政経
赤沢 政経(あかざわ まさつね)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。官位は従六位上・伊豆守。
時代 | 室町時代後期 - 戦国時代 |
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生誕 | 応仁元年(1467年) |
死没 | 永正9年8月5日(1512年9月14日) |
別名 | 又太郎、蔵人(通称)、政盛 |
戒名 | 善忠 |
官位 | 従五位上伊豆守 |
氏族 | 赤沢氏 |
父母 | 赤沢朝経 |
子 | 経智 |
略歴
編集応仁元年(1467年)、細川京兆家の家臣(内衆)である赤沢朝経の嫡男として誕生。
8代将軍・足利義政に仕え、父が上洛した後も自身は信濃国塩崎城に残る。文明17年(1485年)8月14日従五位上伊豆守に叙任される。父が永正の錯乱で戦死した永正4年(1507年)には河内国尾上城と高屋城を守っていたが、永正5年(1508年)8月12日に落城し、翌永正6年(1509年)信濃に帰還した。
出典
編集- 『寛政重修諸家譜 第194』