赤松勇
日本の政治家
赤松 勇(あかまつ いさむ、1910年(明治43年)1月25日 - 1982年(昭和57年)8月30日)は、日本の政治家。衆議院議員(11期)。
赤松 勇 あかまつ いさむ | |
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生年月日 | 1910年1月25日 |
出生地 | 兵庫県朝来郡和田山町(現朝来市) |
没年月日 | 1982年8月30日(72歳没) |
所属政党 |
(労働農民党→) (日本社会党→) (左派社会党→) 日本社会党 |
称号 |
従三位 勲一等瑞宝章 |
親族 | 長男・赤松広隆 |
選挙区 |
旧愛知1区(大選挙区)→ 旧愛知1区→ 旧愛知6区 |
当選回数 | 11回 |
在任期間 |
1946年4月11日 - 1966年12月27日 1969年12月27日 - 1976年12月9日[1] |
長男は元衆議院副議長の赤松広隆。
来歴・人物
編集兵庫県朝来郡和田山町(現朝来市)生まれ[2]。聴講生として早稲田大学で学び中央大学で履修する[3]。在学中の1926年(大正15年)、労働農民党に入党する[4]。1931年(昭和6年)、日本労働組合総評議会に参加し中央委員になる。1937年(昭和12年)の人民戦線事件で逮捕されて4年間入獄する[2]。
1945年(昭和20年)、日本社会党の結成に参加する。1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙で初当選を果たした。
1967年(昭和42年)の第31回衆議院議員総選挙で落選。1969年(昭和44年)の第32回衆議院議員総選挙で返り咲く。1970年(昭和45年)から日本社会党副委員長を務めた[2]。1976年(昭和51年)の第34回衆議院議員総選挙で落選。通算11回務める。
1980年(昭和55年)春の叙勲で勲一等瑞宝章受章[5]。1982年(昭和57年)8月30日死去、72歳没。死没日をもって従三位に叙される[6]。
著書
編集- 『アンデスを越えて』(労働文化事業団、1959年)
- 『無罪』
- 『非武装中立論』
- 『不退転の闘い』(『赤松勇回顧録』編集委員会, 1988.8)[7]
脚注
編集参考文献
編集外部リンク
編集議会 | ||
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先代 田中伊三次 |
衆議院労働委員長 第48代:1953年 - 1954年 |
次代 葉梨新五郎 |