貴乃花一門
歴史
編集二所ノ関一門に所属する貴乃花部屋師匠の貴乃花が、2010年(平成22年)の理事選挙において、一門内の事前調整を拒否して独自に立候補した。これに部屋付き親方である15代常盤山(元小結・隆三杉)と19代音羽山(元大関・貴ノ浪)、間垣部屋の師匠である18代間垣(元横綱・2代目若乃花)、大嶽部屋の師匠である16代大嶽(元関脇・貴闘力)と、部屋付き親方である12代二子山(元十両・大竜)、そして阿武松部屋の師匠である12代阿武松(元関脇・益荒雄)の年寄6人も支持を表明した。その結果、4部屋および年寄6人は、当時所属していた二所ノ関一門から事実上の破門扱いを受け、貴乃花を軸とするグループを形成した。
貴乃花は2010年の理事選挙ではグループ基礎票7票に加え、二所ノ関一門から1票・立浪一門から2票という計10票を集めて当選し、2012年(平成24年)の理事選挙でも基礎票7票に加え、時津風一門から3票・立浪一門から1票という計11票を集めて連続当選した。2012年1月の理事選挙で、貴乃花親方に投票したことを表明した立浪一門の7代立浪(元小結・旭豊)が、同年5月に一門から離脱した後、立浪部屋がグループに合流した。2013年(平成25年)3月には支持者の1人である18代間垣が、間垣部屋の閉鎖と同時に伊勢ヶ濱一門の伊勢ヶ濱部屋へ移籍する事態が発生したものの、貴乃花親方は2014年(平成26年)の理事候補選挙でも計9票を集めて、3期連続当選を果たしている。
二所ノ関一門から破門後は無派閥の貴乃花グループとして合同稽古を行うなどの活動を行っていたが、2014年より協会から各一門へ支給される助成金が同グループにも支払われることになって、「貴乃花一門」に名称を変更、1945年(昭和20年)の時津風一門以来の一門新興となって、長らく5つであった一門は6つに増えることになった[1][2]。また、年寄会の副会長には音羽山が就任した。2016年(平成28年)には千賀ノ浦部屋が、元小結・隆三杉の継承により、出羽海一門から貴乃花一門に移動した。
2017年(平成29年)秋に発生した日馬富士による貴ノ岩への暴行事件の処理を巡って貴乃花は執行部と対立して理事を解任されるに至る[3]。これと前後して時津風一門から20代錣山(元関脇・寺尾:錣山部屋師匠)・19代立田川(元小結・豊真将:錣山部屋付)・23代湊(元前頭・湊富士、湊部屋師匠)の3年寄が離脱、貴乃花方に加わり、一門の系列の年寄は11名となった。(2部屋は貴乃花一門には加入せず、無所属となる)[4]。2018年2月の理事候補選においては、一門としては理事を解任された貴乃花に代わり12代阿武松(元関脇・益荒雄)を立候補させたが、貴乃花は無投票となることを回避すべく、自身を除く10人が阿武松に投票、自身は一門外の年寄の支持を期待して、自身の落選覚悟で一門から2人を立候補させた[5]。結果、貴乃花は自薦の他一門外から1票しか得られずに2票で落選、阿武松は当選したものの、一門内からも造反が出て、8票に留まった。同時に行われた副理事候補選には錣山を擁立したが、14票で最下位落選した[6]。なお、役員以外の年寄で構成される年寄会では、17代大嶽(元十両・大竜)が副会長を務めている。
これを受け、2018年(平成30年)4月19日に貴乃花は一門から看板を下ろしたいと申し出、一門内の各親方は了承した[7]。2018年(平成30年)6月23日、同月20日に貴乃花が一門を離脱する意思を一門内の親方に伝え、一門は同日中に相撲協会執行部に対し阿武松グループへの改称を申し入れていたことが報道された[8]。名称変更は承認される見通しとされていたが、日本相撲協会は7月下旬の理事会で全ての親方が五つある一門のいずれかに所属することを決定[9]。その後9月21日の二所ノ関一門会において、「阿武松グループ」などの同一門への加入が承認され、旧貴乃花一門は実質的に消滅した。よって、同日をもって一門の数は5つに戻った。
10月1日には一門の創設者であった貴乃花が日本相撲協会を退職した。
「貴乃花一門」の看板を下ろして以降は、はっきりとした名称がある状態ではなく、「旧貴乃花一門」などと呼ばれることも多かった。ベースボール・マガジン社が発行する雑誌「相撲」(日本相撲協会機関誌)に掲載されている一門別年寄一覧表および「相撲部屋聞き書き帖」においても旧貴乃花一門と無所属の湊部屋・錣山部屋が2018年6~8月号では「その他」、9~11月号では一門名を空欄として一括で扱われ、「阿武松グループ」の呼称は使用されなかった。
2018年10月の貴乃花の日本相撲協会退職に伴い、貴乃花部屋は千賀ノ浦部屋に吸収される形で消滅した。同年11月29日には阿武松グループ所属であった親方のうち、立浪を除く親方衆は二所ノ関一門に復帰する形で、立浪は出羽海一門にそれぞれ移籍することが相撲協会からも正式に承認され[10]、阿武松グループも完全に消滅した。
系譜
編集脚注
編集- ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p40
- ^ 「貴乃花一門」に変更 他の5つと同等に MSN産経ニュース 2014.5.24 00:02
- ^ 貴乃花親方理事解任…提出した意見書も読み上げられ判断 - スポーツ報知 2018年1月5日
- ^ 錣山親方ら3親方、時津風一門を離脱…理事選は無所属で投票 - スポーツ報知 2017年12月22日
- ^ “貴親方、落選覚悟で出馬 一門の全11票…阿武松親方に10、自身に1を提案”. デイリースポーツ. (2018年1月31日) 2018年2月1日閲覧。
- ^ “初当選・阿武松親方、不安の船出…貴乃花一門から2人造反、錣山親方副理事落選”. スポーツ報知. (2018年2月3日) 2018年2月3日閲覧。
- ^ “貴乃花親方「看板下ろしたい」阿武松一門に名称変更”. 日刊スポーツ. (2018年4月19日) 2018年4月20日閲覧。
- ^ “貴乃花親方一門離脱で無所属「本人決断」阿武松親方”. 日刊スポーツ. (2018年6月23日) 2018年6月25日閲覧。
- ^ “出羽海一門が元貴乃花一門の立浪親方の加入承認へ貴”. 日刊スポーツ. (2018年9月18日) 2019年9月18日閲覧。
- ^ “阿武松親方ら9親方が二所ノ関一門加入 相撲協会、所属義務で”. 日本経済新聞. (2018年11月29日18:59) 2018年11月30日閲覧。
外部リンク
編集- 貴乃花一門後援会(web.archive.orgによるアーカイブ)