豊明殿
沿革
編集明治宮殿から供宴場、宴会場として造営され、戦後再建された新宮殿でも宴会場に引き続き命名された。豊明殿の名称は、宮中の節会の一つ、豊明節会(とよあかりのせちえ)から命名された。国賓を招いて行われる宮中晩餐会などの主会場であり、1990年(平成2年)天皇の即位の礼では、国賓を招いて饗宴の儀が行われたほか、大嘗祭の大嘗宮の儀の後の「大饗の儀」が三権の長、衆議院議員53人余、参議院議員25人余、全国都道府県の知事及び議会議長、市町村長及び議会議長の代表、各界の代表を招いて行われた。[1]
概要
編集- 外観は、和風入母屋造で中庭に向かって南面している。豊明殿の室内面積は915平方メートルで、宮殿のホールでは最大のスケールを誇る。立食の形式では、最大600名の席を設置することが可能である。
- 壁面には、つづれ織りによる豊幡雲(とよはたぐも)の装飾がある[2]。原作は日本画家の中村岳陵[2]が昭和11年第1回帝展に出品した「豊幡雲」で、豊明殿建設に当たり再構成された。つづれ織りの大きさは縦4メートル、横6.5メートルになる。
- 天井は、鳥取県産の杉板のパネルに覆われ32個のクリスタル・ガラス製シャンデリアが下がる[2]。シャンデリアの設計は永原浄による。
- 床は、日本画家の杉山寧原画の手織段通が敷き詰められている。幅7メートル、長さ37メートルの段通を3枚合わせたものが敷かれている。
- 建具は東西両側は襖、南側は明かり障子となっている。
その他
編集脚注
編集- ^ 鎌田純一、「平成大禮要話」p.266-p.269 ISBN 4-7646-0262-8
- ^ a b c “(皇室トリビア)宮殿内部を初公開 興奮と感嘆の見学会”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2014年6月12日) 2014年6月14日閲覧。