許 政(ホ・ジョン、朝鮮語: 허정建陽元年(1896年4月8日 - 1988年9月18日)は、朝鮮独立運動家大韓民国政治家。主に第一共和国第二共和国時代に活躍した。本貫金海許氏[1]友洋(ウヤン、ゆうよう、우양)。別名、許聖洙(ホ・ソンス、허성수)。

許 政
허정
生年月日 (1896-04-08) 1896年4月8日
出生地 朝鮮国慶尚南道釜山府
没年月日 (1988-09-18) 1988年9月18日(92歳没)
死没地 大韓民国の旗 韓国ソウル特別市
出身校 普成専門学校法学科(1919)
所属政党韓国民主党→)
自由党→)
国民の党→)
民主党→)
民衆党→)
新民党
配偶者 白貴蘭
宗教 キリスト教(長老派)

在任期間 1951年11月6日 - 1952年4月9日
元首 李承晩

在任期間 1960年4月27日 - 1960年6月15日
元首 自身が代理

在任期間 1960年6月15日 - 1960年8月18日
元首 自身が代理/尹潽善 (1960/08/13-)

在任期間 1960年4月27日 - 1960年8月12日
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許政
各種表記
ハングル 허정
漢字 許政
発音: ホ・ジョン
日本語読み: きょ せい
ローマ字 Ho Chong
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生涯

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独立運動家として

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釜山府に貿易商の三男として生まれた。中央学校を経て普成専門学校法学科を卒業。学生時代に李東輝の講演を聴いて感銘を受け三・一独立運動に参加した後、中国に亡命し大韓民国臨時政府に参加[2]

1920年フランスへ渡航、この時名前を「許政」に変え、肉体労働に従事しながら在仏韓人居留民団会長を務めた。翌1921年にはアメリカへ渡り、李承晩を助けながらニューヨーク韓人留学生会長と北米韓人僑民総団長を務めた。1923年には、アメリカにおける朝鮮語新聞を発行する『三一新報』の社長に就任した[2]

1932年に『三一新報』を李起鵬に任せて帰国、一時は音楽教師となるものの起業。だが事業に失敗し、1933年に李起鵬が帰国すると共同で鉱山経営に関与する。 それ以来許政と李起鵬は鉱業に専念し、忠清北道永同蛍石鉱山を買収するまでになるが、1938年には興業倶楽部事件で逮捕。1942年には朝鮮語学会事件で再度逮捕・収監された。結局どちらも直ぐ釈放され、以後は政治問題に殆ど関与しなかったものの、李承晩の側近であったことから要監視人物として監視を受けていた。

李承晩政権下

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太平洋戦争終結で日本が降伏すると直ぐに政治活動を再開し、9月21日に韓国民主党慶尚南道総務を引き受け、国会議員に当選。大韓民国政府樹立後の1948年交通部長官となり、以後社会部長官・無任所長官1950年1952年4月 - 7月22日)を務める。この間1951年11月6日から1952年4月9日まで国連総会に出席する張勉国務総理の臨時代理となるが、釜山政治波動で野に下る。

その後1957年から1959年までソウル特別市長(第8代)を務め、1959年日韓会談では韓国側代表として出席。1960年4月には外務部長官となるが、大統領選挙での不正から四月革命が勃発。許政は李承晩に対し早期退陣による事態の収拾を提案し、李承晩が大統領を辞任した翌日の4月27日から首席国務長官[3](内閣首班)兼外交部長官[4]として正副大統領が実質空席状態の国政を指揮した。6月15日には韓国憲法改正で復活した国務総理の第6代目となり、李承晩亡命から新政府発足まで続いた過渡政府の大統領権限代行(1960年4月27日 - 1960年8月12日)を務めた。

5・16軍事クーデター以降

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第二共和国成立後は政界から退き李承晩の復権に尽力していたものの、5・16軍事クーデターを経て朴正煕軍事政権が成立すると軍政側から誘いを受ける。これを許は拒絶したものの、1963年国民の党を結成し来たる大統領選挙への出馬を表明。だが民間政治家の候補一本化に伴い、自らは出馬を断念し尹潽善支持に回った。その後は民主党民衆党新民党と野党で活動するが、1967年に再度国政から引退する。

その後、朴政権から国土統一院顧問に指名され、崔圭夏全斗煥政権では国政諮問会議議員を務めた。

著書

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  • 『明日のための証言』(내일을 위한 증언

関連項目

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脚注

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  1. ^ (기고) 김해허씨의 유래와 인물” (朝鮮語). 정관타임스Live (2021年10月21日). 2023年7月28日閲覧。
  2. ^ a b 허정(許政)”. 韓国民族文化大百科事典. 2023年8月17日閲覧。
  3. ^ 世相風俗観察会『現代世相風俗史年表:1945-2008』河出書房新社、2009年3月、100頁。ISBN 9784309225043 
  4. ^ 当時の韓国憲法では、大統領不在時に「副統領」と呼ばれる副大統領が職務を引き継ぐように定めていた。だが、四月革命の影響で大統領と副統領が同時に辞任してしまったため、急きょ許政が大統領権限を代行することになった。

外部リンク

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公職
先代
李承晩
  大韓民国大統領
(臨時代行)1960
次代
尹潽善
先代
李始榮
  大韓民国副大統領
権限代行(1回目):1951
次代
金性洙
先代
張勉
  大韓民国副大統領
権限代行(2回目):1960
次代
(役職廃止)
先代
崔圭夏
(職務代理)
  大韓民国外務部長官
第5代:1960
次代
鄭一亨
先代
白漢成
(臨時代理)
  内閣首班
1960
次代
許政
(国務総理)
先代
許政
(内閣首班)
  大韓民国国務総理
第6代:1960
次代
張勉
先代
高在鳳
ソウル特別市長
第8代:1957 - 1959
次代
任興淳
先代
張勉
  大韓民国国務総理
(代理)1951 - 1952
次代
李允栄
(代理)
先代
李允榮朝鮮語版
  大韓民国社会部長官
第3代:1950 - 1952
次代
최창순
先代
  大韓民国無任所長官
1952
次代
先代
민희식
  大韓民国交通部長官
第2代:1948 - 1950
次代
김석관