蛭川村
蛭川村(ひるかわむら)は、岐阜県恵那郡にあった村である。2005年2月13日に周辺6町村と共に中津川市へ編入合併した。
ひるかわむら 蛭川村 | |
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廃止日 | 2005年2月13日 |
廃止理由 |
編入合併 坂下町、川上村、加子母村、付知町、福岡町、蛭川村、山口村 → 中津川市 |
現在の自治体 | 中津川市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 恵那郡 |
市町村コード | 21566-0 |
面積 | 44.82 km2 |
総人口 |
3,803人 (推計人口、2005年2月1日) |
隣接自治体 | 恵那市、中津川市、福岡町、白川町 |
村の木 | ヒトツバタゴ |
村の花 | シュンラン |
蛭川村役場 | |
所在地 |
〒509-8392 岐阜県恵那郡蛭川村鳩吹2178-8 |
外部リンク | 中津川市蛭川総合事務所 |
座標 | 北緯35度31分22秒 東経137度22分55秒 / 北緯35.52281度 東経137.38192度座標: 北緯35度31分22秒 東経137度22分55秒 / 北緯35.52281度 東経137.38192度 |
ウィキプロジェクト |
大字・小字
編集- 大字: 蛭川(ひるかわ)
- 小字:
あ行
編集- 一ノ瀬(いちのせ)、一色(いつしき)、稲舟(いなぶね)、今洞(いまぼら)、岩久良(いわくら)、岩伏(いわぶし)、岩谷(いわや)
- 大澤(おおさわ)、大洞(おおぼら)、奥渡(おくど)、尾越(おこし)、押手(おしで)
か行
編集- 柏ヶ根(かしがね)、上一色(かみいつしき)、上野木(かみのき)、烏澤(からすさわ)、樺瀬(かんばせ)
- 黒岩(くろいわ)
さ行
編集- 櫻本(さくらもと)、笹場(ささば)
- 下一色(しもいつしき)、下海渡(しもがいと)、下澤(しもざわ)、新澤(しんざわ)、新田(しんでん)
た行
編集- 大博士(だいはかせ)、内理(だいり)、髙見(たかみ)、棚田(たなた)、田原(たはら)
- 遠ヶ根(とおがね)、殿塚(とのずか)、鳶岩巣(とんびいわす)
な行
編集- 中切(なかぎり)、長瀞(ながとろ)、中山(なかやま)、奈良井(ならい)
は行
編集- 旗巻淵(はたまきぶち)、鳩吹(はとふき)、巾田(はばた)
- 日蔭(ひかげ)、東下澤(ひがししもざわ) 、東山(ひがしやま)
- 坊之前(ぼうのまえ)、細野(ほその)
ま行
編集- 町切(まちぎり)
- 南洞(みなみぼら)、宮ノ前(みやのまえ)
- 向山(むかやま)
や行
編集- 矢柱(やばしら)
- 弓場(ゆみば)、百合平(ゆりだいら)
わ行
編集- 若山(わかやま)、和田(わだ)
- (過去に存在した小字)
隠平、力石、畑、龍淵、下田、妻の神、親方林、山之神、山本、殿淵、切井なぎ、みかど山、三反田、五反田、木だんたに、高見、押出、櫻本、岡田、大會所、小會所、丈左會所、烏會所、寺橋、竹の腰、山口、じょうしん、長老寺、高櫃、笠神、姫墓、山伏塚、宮脇、上之坊、中之坊、下之坊、禰宜屋、すいがね、圓蔵寺、洞田、源三郎、村上、堰澤、殿會所、大洞、巾田、鍛冶屋畑、東、西、松葉、へぼがいと、蜂屋がいと、神田、上會所、四辻、餅あな、城山、棚田、岩屋、馬塚、小もの塚、平岩、石屋橋、大西、與七川(まむし谷)、地蔵山、丸山、檜淵、土場、狸穴、長久郷、おりきがいと、姫墓、寺地岳、おぐるみ、新田(あらた)、猿飛、甚助山、彦たま、おなべ會所、念仏堂、打越、久郷、椿屋、沼の口、寺坂、丸山、倉田、蛇石、青木ケ洞、助七淵、田畑、水洗、砥石、朴木、向畠、五十目、おなべ屋敷、霜中、大ぜまち、青木畑、青梨、かまんた、大谷、金石、四十部、六部田、兼行坊、岩穴、蛇石、洞畠、栃山、いたどり、もろくご、又八畠、丸根、田畠、祝屋畠、あたご山(双子山)、吉原、神平、上向、下向、内戸、大屋、荒畑、王子立場(御陣立場)、大戸、小玉石、石佛、笠石、川下、田中、又屋敷、先庄屋、中根、袖田、たかう塚、乗廻し、新道峠、夜泣石、新田、内裏、稲倉、栗戸、袖の澤、押ケ平、逆川(天川)、四辻、登り、田原尻、幸六坂、枝垂柿、櫓鼻、洞、御所平、上の木、鳶岩、新五升蒔、川ばた、かんの、堀田、團右衛門、矢舞場、太刀切
地理
編集岐阜県南東部、木曽川を挟んで恵那市の北に位置する。 南を除く三方を山に囲まれた小盆地を形成しており、その中央を和田川が南流し木曽川に注ぐ。 恵那市との境界には東濃を代表する景勝地・恵那峡がある。
隣接していた自治体
編集歴史
編集- 平安時代は、和田川を境に西側は蘇原荘に含まれていた。
- 鎌倉時代より戦国時代末期まで、苗木遠山氏の領地。 当時の記録には平流川と書かれている。
- 元亀3年(1572年)武田信玄は山村良利に対し、安弘見[蛭川村]300貫を与えた。
- 慶長6年(1601年)の「美濃一国郷牒」には、蛭川村・福岡村・高山村・田瀬村・下野村・上野村は加茂郡と記述されている。
- 江戸時代は苗木藩領。
- 明治3年(1870年)に苗木藩が実行した廃仏毀釈により領内の全ての寺院が廃される。蛭川村では、宝林寺が廃されて仏教が無くなり、住民の多くは神道系の神国教の信者となり今日に至っている。
沿革
編集幻の恵那市との合併計画
編集行政
編集- 村長:樋田邦彦(2001年12月11日〜2005年2月13日)
経済
編集産業
編集- 石材業
花崗岩(御影石)の産地であり、村内には石切場が多く見られる。石のオブジェや石垣、石畳なども各所にみられる。恵那錆石の産地としても知られている。 また、国内有数のペグマタイト鉱物の産地のひとつとして有名である。
姉妹都市・友好都市
編集教育
編集- 中学校
- 小学校
2005年以前に廃校となった学校
編集- 岐阜県立恵那高等学校蛭川分校(1971年廃校)
- 蛭川村立蛭川小学校田原分校(1963年廃校)
交通
編集鉄道
編集- 村内に鉄道路線なし
バス
編集- 東鉄バス
- 蛭川線
道路
編集- 高速道路
- 村内に高速道路はなし。
- 一般国道
- 村内に一般国道はなし。
- 主要地方道
- 一般県道
白山神社
編集創立年月日は不詳であるが、長享年間に建立か、それ以前のものと思われる。
古来より、安弘見郷の人達は、五社巡りと称して、安弘見神社、内理神社、田原神社、奥渡神社と白山神社を巡拝する風習があった。
棟札に「上棟濃州賀茂郡安弘見郷今村白山御社檀上葺 檀那藤原板津若狭貞久並 鍛冶浄心、長享二年戊申年十月三日謹録之」を始め
「上棟濃州賀茂郡安弘見郷今村白山御社壇上葺 檀那藤原板津興十郎吉継願主敬白、天文十二年九月二十八日」
「白山妙理大権現及大破所 皆々旦那真俗男女以志奉修理建立其志者如山如海依氏子敬白、云々慶長十六年三月吉日 大工 藤原森家彦右衛門」と記載されたもの等が多数ある。
又旱魃の際には、当社の御鎌を借り受けて祈願をすると、忽ちにして霊験が顕われると言い伝えられていたため、遠近より御鎌を借り受けに来る者が少なからず居たという。
当社は神社明細帳に漏れていたため、昭和3年4月19日に編入願いを行い、昭和14年3月7日に受け入れられた。
名所・旧跡・観光スポット
編集- 安弘見神社
- 恵那峡県立自然公園
- 紅岩
- 長瀞のヒトツバタゴ(「ヒトツバタゴ自生地」として国の天然記念物に指定)
- (別名:なんじゃもんじゃ)
- 恵那峡ワンダーランド
- 博石館
- 東山温泉 (岐阜県)
寺院
編集祭事・催事
編集- 杵振り祭り・・蛭川村に伝わる杵振り踊りの祭典。4月16日に一番近い日曜日に行われる。