藤田村 (岡山県)
日本の岡山県児島郡にあった町
藤田村(ふじたそん)は、かつて岡山県児島郡にあった村である。1975年(昭和50年)5月1日に岡山市に編入され廃止された。現在は同市南区藤田となっている。
ふじたそん 藤田村 | |
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廃止日 | 1975年5月1日 |
廃止理由 |
編入合併 藤田村 → 岡山市 |
現在の自治体 | 岡山市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陽地方) |
都道府県 | 岡山県 |
郡 | 児島郡 |
市町村コード | 33403-1 |
面積 | 21.95[1][2] km2 |
隣接自治体 |
岡山市 児島郡灘崎町 |
村長 | 高橋力[3] |
藤田村役場 | |
所在地 |
〒701-02 岡山県児島郡藤田村508番地[1][2] |
座標 | 北緯34度35分29秒 東経133度52分53秒 / 北緯34.59139度 東経133.88139度 |
ウィキプロジェクト |
沿革
編集- 1912年(明治45年) - 児島湾干拓の第二区(1097町歩)が完成。村制を施行し、その区域を児島郡藤田村とした[4]。
- その後、第二区の沖に第六区が完成し、藤田村に編入された。
- 1947年(昭和22年)12月9日 - 昭和天皇が学校組合立興田中学校に行幸(昭和天皇の戦後巡幸)[5]。
- 1960年(昭和35年)12月 - NHK錦ラジオ放送所が岡山市内の旧局舎から移転される。
- 1975年(昭和50年)5月1日 - 藤田村が岡山市に編入された。
- 1979年(昭和54年)- 瀬戸内2001大博覧会が国道30号沿いの藤田錦で開催される[6]。
- 2009年(平成21年)- 4月1日 岡山市が政令指定都市に移行し、藤田地区の行政区は南区となる。
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出身有名人
編集その他
編集日本にある「藤田村」の中で唯一「ふじた"そん"」という読み方だった。他の「藤田村」は山梨県のみ「とうだむら」でそれ以外は「ふじた"むら"」である。また、日本に存在した「藤田村」の中では最後まで残った村でもあり全国地方公共団体コード導入後も残った唯一「藤田村」であり、「藤田村」に限らず「藤田」の名が付く最後の自治体だった。また、児島郡においては最後まで残った村でもあり、当村の合併で児島郡は灘崎町(2005年3月22日に岡山市に編入合併)を残すのみとなった。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b 山陽新聞社 1974, p. 179.
- ^ a b 岡山県総務部統計課 1971, p. 65.
- ^ 山陽新聞社 1974, p. 275.
- ^ 下川耿史 2003, p. 289.
- ^ 原武史 2016, p. 100.
- ^ 瀬戸内2001大博覧会(乃村工藝社)
参考文献
編集- 岡山県総務部統計課 編『岡山県市町村勢要覧』 昭和45年刊、岡山県統計協会、岡山、1971年9月15日。doi:10.11501/9528442。 NCID BA43334715。OCLC 703790315。
- 山陽新聞社 編『山陽年鑑』 昭和50年版、山陽新聞社、岡山、1974年10月20日。doi:10.11501/9572436。 NCID BN03632797。OCLC 703818864。
- 下川耿史 編『環境史年表』 明治・大正編(1868-1926)、河出書房新社、東京、2003年11月30日。ISBN 4-309-22407-5。 NCID BA64600497。OCLC 959681706。
- 原武史 編『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、東京、2016年9月30日。ISBN 978-4-10-320523-4。 NCID BB22369559。OCLC 961277995。