藤枝 晃(ふじえだ あきら、1911年明治44年)8月3日 - 1998年平成10年)7月23日)は、日本の東洋学者。敦煌学および西域出土の古写本研究の第一人者である。

藤枝 晃
人物情報
生誕 (1911-08-03) 1911年8月3日
日本の旗 日本大阪府西成郡粉浜村大阪市住之江区
死没 1998年7月23日(1998-07-23)(86歳没)
出身校 京都帝国大学
学問
研究分野 東洋史西域研究)
研究機関 京都大学( 京都大学人文科学研究所)
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経歴

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1911年、大阪府西成郡粉浜村大阪市住之江区)生まれ。旧制大阪高校を経て、1934年昭和9年)、京都帝国大学文学部史学科を卒業。

戦前

卒業後は同文学部の副手に着任。1937年(昭和12年)、東方文化研究所の図書係、のちに同副研究員となった。太平洋戦争末期には中国・内蒙古西北研究所に派遣され、現地調査に従事した[1][2]

戦後

戦後の1948年(昭和23年)、京都大学人文科学研究所助教授となった。1951年(昭和26年)、研究所の森鹿三を班長とする居延漢簡共同研究班に所属し、木簡の研究を行った。同研究班には、米田賢次郎大庭脩永田英正らが所属していた[3]1962年(昭和37年)、文学博士の学位を取得。1968年(昭和43年)には、京都大学人文科学研究所教授に昇進。1970年(昭和45年)、コペンハーゲン大学に新設された中国文化講座の客員教授となる。1975年(昭和50年)、京都大学を定年退官し、名誉教授となった。退任後も1988年(昭和63年)にはカリフォルニア大学バークレー校の客員教授をつとめた。

受賞・栄典

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研究内容・業績

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  • 西域研究を専門とした。
  • 中国天津市にある南開大学で敦煌学を講じた際(1981年)に、大学関係者に「敦煌は中国にあるが、敦煌学は国外にあった」と賛嘆された、という逸話がある。

著作

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著書・編著書
共著
勝鬘経義疏 解説」を収む。編者は、早島鏡正築島裕
楷書の生態」を収む。編者は、貝塚茂樹小川環樹

参考文献

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脚注

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  1. ^ 西北研究所時代のことについては、「西北研究所の思い出:藤枝晃博士談話記録」で語っている(『奈良史学』4, 奈良大学史学会, 1986年, 56-93頁.)
  2. ^ CiNii抄録
  3. ^ 籾山明2014「日本における居延漢簡研究の回顧と展望-古文書学的研究を中心に-」『文献と遺物の境界II』東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所に居延漢簡輪読会のメンバーと写る写真がある。