藤原 忠雄(ふじわら の ただお、生没年不詳)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。藤原北家、大和守・藤原長岡の子。官位は従五位下・大宰少弐。
文徳朝末の斉衡4年(857年)従五位下・因幡介に叙任される。貞観4年(862年)武蔵守と清和朝前期も引き続き地方官を務めた。
貞観10年(868年)兵部少輔と京官に任ぜられるが、早くも翌貞観11年(869年)大宰少弐として地方官に転じている。
『六国史』による。
『尊卑分脈』による。