藤原基貞
平安時代中期から後期の貴族。藤原頼宗の三男。正四位下・美濃守
藤原 基貞(ふじわら の もとさだ)は、平安時代中期から後期にかけての貴族。藤原北家、右大臣・藤原頼宗の三男。官位は正四位下・刑部卿。
時代 | 平安時代中期-後期 |
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生誕 | 寛仁4年(1020年) |
死没 | 不詳 |
官位 | 正四位下、刑部卿 |
主君 | 後朱雀天皇→後冷泉天皇 |
氏族 | 藤原北家中御門流 |
父母 | 父:藤原頼宗、母:源公子(源高雅の娘) |
兄弟 | 兼頼、俊家、基貞、能長、能季、頼観、延子、昭子、源師房室 |
妻 | 源章任の娘、藤原良頼の娘 |
子 | 敦基、基仲、兼実、時実、貞禅、家俊、永基、藤原公実室、藤原師実室、姿子、藤原基長室、高階為章室 |
概要
編集長元8年(1035年)ごろ但馬守、寛徳2年(1045年)ごろ美作守、寛徳3年(1046年)ごろ美濃守、康平3年(1060年)近江守と後一条・後朱雀・後冷泉の三朝に亘って地方官を務めたほか、刑部卿などを歴任した。しかし、妾腹だったことなどから官位には恵まれず、正四位下・刑部卿止まりで、藤原道長の孫でありながら僧・頼観を除いて兄弟中唯一公卿に昇っていない。
一方で、多くの子息に恵まれ、兼実は太政大臣・藤原信長の養子となる。また、娘は権大納言・藤原公実、摂関太政大臣・藤原師実にそれぞれ嫁ぎ、その子が三条家・大炊御門家として後世に血統を繋げた。