荒磯部屋
沿革
編集1961年に、それまで荒磯部屋を経営していた元横綱照國萬藏が、名跡を伊勢ヶ濱に変更したため、荒磯の名跡は花籠部屋で関脇を務めた大豪(後に二子山部屋付き年寄)から小結・二子岳武に継承された。二子岳の12代荒磯は、1993年(平成5年)に師匠である10代二子山(初代若乃花)が停年退職したことを機に、同年5月27日、二子山部屋から独立して部屋を創設した。しかし関取を出すことはなく、親方自身の停年を11月に控えた2008年(平成20年)9月場所をもって部屋を閉じた。その当時の所属力士3人のうち2人は引退、残る1人(その後幕内に昇進した荒鷲)は花籠部屋(4年後の2012年に峰崎部屋に合併)に、親方と呼出は松ヶ根部屋(現・放駒部屋)に転属した。この荒磯部屋は、東京都国立市に置かれ、閉鎖時点で多摩地区に所在した唯一の相撲部屋でもあった。