舩木聖士
舩木 聖士(ふなき さとし、1973年8月26日 - )は、広島県三原市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県三原市 |
生年月日 | 1973年8月26日(51歳) |
身長 体重 |
174 cm 86 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1995年 ドラフト1位(逆指名) |
初出場 | 1996年4月7日 |
最終出場 | 2004年8月7日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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来歴・人物
編集プロ入り前
編集尾道商業高等学校時代は1年上に山内泰幸がいたために2年時までは控え投手。3年時でエースとなったが故障もあり満足した成績を残せなかった。
ドラフト候補にも名前が挙がっていたが、社会人野球のNKKに進み、1995年の第66回都市対抗野球大会で本格派のエースとして準優勝に貢献し、自らも久慈賞を受賞。同年にはアトランタオリンピックの予選代表にも選出された。同年のドラフト会議で阪神タイガースから1位指名を受け入団。
プロ入り後
編集1996年(1年目)から140km/h台後半のストレートとスライダーを武器に開幕三戦目に先発しその後も先発ローテーション入りしたが、初登板を10回途中まで投げその後も2ヶ月で8試合先発、3完投を含む55回1/3イニングを投げた結果肘を故障し離脱、7月半ばに復帰はしたものの完投はプロ初完封をした1試合のみと明らかに登板内容が変わってしまった。それでも当時の阪神は打線が弱かったが6勝を記録(6勝全てホーム球場の甲子園で挙げた)、将来のエースとして大いに期待されたが、翌年以降は新人の年に痛めた肘の故障に苦しみ成績は大きく低迷。1999年、監督に新任した野村克也の指示で、腕の位置を下げたり新変化球としてシュートを覚えたりとしたが劇的な変化も無く2002年オフに戦力外通告を受けた。
2002年に同球団を解雇された後は、ロッテにテスト入団。主に中継ぎとして登板していたが、2004年限りで引退。
引退後
編集2005年から関西メディカルスポーツ学院でトレーナーになるための講義を受け、翌2006年には教員・ピッチングコーチとなった。この転身は現役時代に怪我に苦しんだ経験から、「僕みたいな選手の力になりたい」との思いを強くしたからだという[1]。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1996 | 阪神 | 20 | 17 | 4 | 1 | 0 | 6 | 9 | 0 | -- | .400 | 451 | 104.1 | 104 | 9 | 44 | 3 | 1 | 70 | 5 | 1 | 54 | 52 | 4.49 | 1.42 |
1997 | 24 | 17 | 0 | 0 | 0 | 1 | 8 | 0 | -- | .111 | 393 | 87.1 | 104 | 10 | 36 | 1 | 1 | 75 | 0 | 1 | 53 | 47 | 4.84 | 1.60 | |
1998 | 10 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | -- | .000 | 126 | 25.0 | 31 | 2 | 18 | 0 | 2 | 12 | 0 | 1 | 19 | 19 | 6.84 | 1.96 | |
1999 | 18 | 7 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 0 | -- | .286 | 233 | 51.1 | 50 | 6 | 31 | 2 | 3 | 38 | 0 | 0 | 22 | 22 | 3.86 | 1.58 | |
2000 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 7 | 1.0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 3 | 27.00 | 3.00 | |
2001 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 84 | 17.2 | 24 | 3 | 9 | 0 | 2 | 11 | 0 | 0 | 17 | 13 | 6.62 | 1.87 | |
2002 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 6 | 1.0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 2 | 18.00 | 3.00 | |
2003 | ロッテ | 16 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 123 | 26.0 | 24 | 4 | 20 | 0 | 2 | 24 | 1 | 0 | 19 | 18 | 6.23 | 1.69 |
2004 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 7 | 1.0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 2 | 18.00 | 3.00 | |
通算:9年 | 101 | 44 | 4 | 1 | 0 | 9 | 24 | 0 | -- | .273 | 1430 | 314.2 | 345 | 35 | 159 | 6 | 12 | 234 | 6 | 3 | 192 | 178 | 5.09 | 1.60 |
表彰
編集- ウエスタン・リーグ最優秀救援投手 (2001年)
記録
編集- 初登板・初先発登板:1996年4月7日、対読売ジャイアンツ3回戦(東京ドーム)、9回1/3を2失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、1回裏に仁志敏久から
- 初勝利・初先発勝利・初完投勝利:1996年4月14日、対広島東洋カープ3回戦(阪神甲子園球場)、9回2失点
- 初完封勝利:1996年9月25日、対ヤクルトスワローズ26回戦(阪神甲子園球場)
背番号
編集- 35 (1996年 - 2002年)
- 56 (2003年 - 2004年)
脚注
編集- ^ 舩木聖士さんがトレーナーを目指す理由
- ^ 週刊ベースボール2012年4月16日号 P14
- ^ “雨上がりの「Aさんの話」〜事情通に聞きました!〜”. goo tv(関西版) (2017年6月20日). 2017年6月21日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 舩木聖士 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube
- 舩木聖士 トレーナーへの道