緑の党

政党ないし政治団体の総称の一種

緑の党(みどりのとう)は、環境主義多文化主義反戦等の主義信条に基づく緑の政治の実現を目指す政党ないし政治団体の総称である。

世界のグリーン勢力

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1970年代から世界各国で台頭してきた、エコロジー脱炭素反原発反核軍縮反戦人種差別撤廃、脱物質主義、脱消費社会、脱資本主義多文化主義消費者保護、参加民主主義草の根民主主義も参照)、フェミニズム社会的弱者人権等々をテーマにした「新しい社会運動」の流れで結成が進んだ政治勢力である。出身者の多くが市民活動家や環境保護に関心の高い市民であり、国によっては更に社会民主党共産党中央党等の既成政党から離党した政治家が新党としての『緑の党』に合流した他、左派系の労働運動民主化運動の活動家も加わっている。

「緑の党」の歴史は、1972年実施のオーストラリアタスマニア州選挙に向けて、同年3月に結成された自然保護政治運動グループであるUnited Tasmania Groupに端を発する。(なお、同グループは同選挙において3.9%の得票をおさめ、1議席を確保した。その後、同グループはオーストラリア緑の党として発展的に解消され、連邦、州、地方議会に多数のメンバーを送り出している。)また、ヨーロッパでは1980年の旧西ドイツにおける「緑の党」(直訳では「緑の人々」)結成(政治的組織化の動きは1970年代後半から)であり、その後フィンランドベルギーオランダフランスなど欧州各地で次々と結成されていった。

緑の党は、環境保護だけでなく平和外交・人権・産業構造・教育社会保障労働食料など幅広い政策をもつオールラウンドな政党であり、平和で持続可能社会正義のある新しいエコロジー社会を目指す。営利企業の自由を最優先する新自由主義的改革(およびそのグローバル化)、国民国家ナショナリズム、軍事・治安国家化には批判的である。

現在ではアメリカアジアを含む多くの国々に緑の党が存在するが、最も強い政治基盤を確立しているのはヨーロッパにおいてである。政権参加の最初のケースは1995年フィンランド緑の同盟であり、最も長期のケースはドイツ緑の党社会民主党との連立政権(1998年-2005年)である。

他方で、アメリカなどの選挙制度が小選挙区制の国では、緑の党は国政レベルにほとんど影響力をもてないでいる。そのためこれらの国の緑の党は、選挙制度の民主化に焦点を当てている。なおアメリカにおいてもカリフォルニア州など市町村議会のレベルでは議席を確保している。

また環境問題やグローバル経済、南北問題などに対応するため、グリーン勢力は国際連帯にも熱心である。2001年4月16日オーストラリアキャンベラで、緑の党の国際組織であるグローバルグリーンズ(Global Greens,「緑の地球同盟」)が結成された。ここでは、「グローバルグリーン憲章」が採択され、その後世界の緑の党の指針となっている。 「グローバルグリーン憲章」では、 諸原則(理念)として、エコロジーの知識、社会的公正、参加民主主義、非暴力、持続可能性、多様性の尊重の6つを掲げる。また、政治的行動(政策・行動)として、以下の10の行動指針を掲げている[1]。民主主義、公正さ、気候変動とエネルギー、生物多様性、持続可能性の諸原則にもとづく経済的グローバリゼーションの制御、人権、食糧と水、持続可能な計画、平和と安全保障、グローバルに行動すること[1]

2004年には、欧州連合規模の欧州緑の党 (European Green Party)、および北欧グリーンレフト同盟 (Nordic Green Left Alliance) が結成されるなど、世界の各地域で緑の党のネットワークが存在する。

2019年スウェーデン環境活動家であるグレタ・トゥーンベリが火を付けた環境意識は、欧州政治の勢力図に影響力を及ぼし始め、緑の党が支持を伸ばしている[2]。また、同年ドイツでは世論調査で緑の党が初めて首位に立った[3]

日本での試み

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1981年日本労働党から三橋派が分裂し緑の党を結党。「平和脱原発人権、連帯」を掲げる[4]

1983年、河西善治が西ドイツ(当時)緑の党をモデルとした「東京緑派」(DIE GRUENEN) を結成し、参院選に東京都選挙区より出馬した。河西は人智学ルドルフ・シュタイナーの思想)の研究家であり、西ドイツ緑の党がミヒャエル・エンデなど多くの人智学者によってできた経緯から、緑の党の思想を日本に広めることに注力していた。比例区ではMPD・平和と民主運動(後の市民の党)への投票を呼び掛けた。また、重松九州男日本世直し党も「日本版緑の党」を名乗っていた。

1986年、元第四インターナショナル活動家太田竜らが「日本みどりの党」を結成。太田はその後「みどりの党」離党、「日本みどりの連合」結党を経て、「みどりといのちのネットワーク」への再統合を行った。「みどりといのちのネットワーク」は大石武一の推薦を受けた。同年、の浄化を主な政策とする環境党が結成される。

1989年山本コウタロー北沢杏子門野晴子円より子田嶋陽子らを中心に環境保護とフェミニズムを掲げる「ちきゅうクラブ」が、また、作家の今野敏や元三重大学教員の坂下栄、反原発運動・環境保護運動の活動家らを中心に「原発いらない人びと」が結成された。第四インターナショナル系や共産主義労働者党(後の自治・連帯・エコロジーをめざす政治グループ・蒼生)など一部の勢力は「原発いらない人びと」を支援した。この年の参議院選挙では、3派の統合を試みるも、名簿順序をめぐって折り合いがつかず、分裂選挙に。結果3派合わせて60万票を獲得するも議席の獲得はならなかった。

1992年の参院選では、「みどりといのちのネットワーク」「ちきゅうクラブ」「原発いらない人びと」を統合した環境政党「希望」(代表は藤本敏夫)が立候補した。

1995年農業問題を中心とするみどりといのちの市民・農民連合と、平和・市民から路線対立で分裂した憲法みどり農の連帯が結成される。「希望」党員は農民連合と連帯に分裂。

その後、地方政治においては市民運動出身の無所属地方議員の連絡組織「虹と緑の500人リスト運動」、新潟県地域政党緑・にいがた」(旧「市民新党にいがた」)などが結成される。

1997年荒岱介らの「戦旗・共産主義者同盟」が「BUND」と改称。共産主義路線を放棄し、環境保護路線への転換を表明する。2008年には「アクティオ・ネットワーク」と改称。

1998年頃より保守リベラル政党であった新党さきがけが環境政党として再出発を表明。後に代表となった中村敦夫黒岩秩子と共に院内会派「さきがけ環境会議」結成。2002年、「みどりの会議」に改称。三木武夫三木睦子夫妻の長女で無所属の参院議員だった高橋紀世子と中村が所属。2004年の解散後は「みどりのテーブル」に活動を引き継ぐ。

2007年、「みどりのテーブル」が中心となって参院東京選挙区に「無所属共同候補」として川田龍平を擁立し、当選する。また、司法書士の黒田恒一が環境社会主義党を結成して参院選に出馬することを表明したが、直前で出馬を辞退した。

2008年、川田龍平は、「みどりのテーブル」から離脱した(その後、2009年にみんなの党に入党)。「みどりのテーブル」と「虹と緑」が合流して「みどりの未来」を結成し、「みどり」系の地域政党・地域政治団体との連携を進めながら、地方政治および国政において「みどりの政治」の実現を目指すことを表明した。

2009年5月、元自民党員の長友清冨がNPO「森と海の恋人」を母体に「森海党」を結成。同年の衆院選で熊本県第5区から出馬するも落選。のち森海党は「日本森海党」に改名し、長友は2011年人吉市長選や錦町議会議員選に出馬したが、いずれも落選している。

2012年2月には前述の「みどりの未来」が「緑の党(後に改称し、緑の党グリーンズジャパン[5]」を結成することを発表する一方で、思想家中沢新一宮台真司らが「グリーンアクティブ」を立ち上げた[6]。グリーンアクティブの政治部門は「日本独自のエコロジー政党」である「緑の日本」を名乗り、マエキタミヤコらが所属する。

2012年7月28日、「みどりの未来」を母体とした「緑の党グリーンズジャパン」の結成総会が開かれた。2013年参議院選挙の比例区、次期衆議院選挙比例東京ブロックに候補者を擁立する方針を発表した。

また同年7月18日に参院会派として「みどりの風」が結成され、12月28日に政党化したが、この党は緑風会をモデルとしており、本稿の緑の党とは関係ない。ただし谷岡郁子代表は緑の党との連携も示唆していた。

2013年1月、渋谷誠が新たに「環境党」を結党。同年7月の参院選において、「緑の党グリーンズジャパン」と「みどりの風」は候補者を擁立したが、両党とも全員落選した。両党では選挙協力について話し合いが行われたが、「緑の党グリーンズジャパン」の吸収合併を主張する「みどりの風」側と、両党の名称を残した上での統一名簿作成を主張する「緑の党グリーンズジャパン」側で対立し、交渉は決裂した。「緑の党グリーンズジャパン」が支援した東京都選挙区山本太郎(無所属)は当選した。

緑の党一覧

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ヨーロッパ

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南北アメリカ

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オセアニア

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アフリカ

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アジア

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脚注

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注釈
  1. ^ 2020年に התנועה הירוקה: Green Movement)から המפלגה הירוקה: Green Party)へ改称。
出典

参考文献

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  • 西田慎『ドイツ・エコロジー政党の誕生-「六八年運動」から緑の党へ-』昭和堂、2009年。ISBN 978-4-8122-0960-8 - エコロジー政党の成功例として、ドイツの緑の党の結党から政権参加までを追いつつ、なぜ日本でエコロジー政党が成功しなかったのかを考察。

関連項目

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外部リンク

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