結城朝村
鎌倉時代の武将。弓の名手。細戸氏。
結城 朝村(ゆうき ともむら)は、鎌倉時代の武将。網戸四郎[4]。網戸十郎[5]。
時代 | 鎌倉時代 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 建治2年(1276年)6月13日? |
別名 | 上野十郎[1]、網戸十郎[2]、四郎 |
戒名 | 西蓮寺殿光阿陀仏 |
氏族 | 結城氏、網戸氏 |
父母 | 結城朝光、伊賀光泰娘[2][3] |
兄弟 | 平方朝俊、朝広、朝長、宗政、寒河時光、山川重光、朝村 |
子 | 長広 |
略歴
編集嘉禎4年(暦仁元年とも[3])(1238年)5月16日[2]、鎌倉幕府4代将軍・藤原頼経の前で籠からにげた鳩を弓で射て生け捕りにし驚嘆させた[1]。その功で同20日、二条家御簡衆となる[2]。仁治2年(1241年)11月29日、酔余の矢により三浦・小山両党の喧嘩のもとをつくった。弓の名手として幕府恒例の行事ではつねに射手を務めた。
康元元年(1256年)11月23日に北条時頼の出家に殉じて出家し、法名を蓮忍と号したが、自由出家の廉で出仕を一時停止される[2]。文応元年(1260年)1月20日、宗尊親王の昼番衆となった[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 安田元久 編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、1985年。ISBN 4404013027。
- 結城市史編さん委員会 編『結城市史』 第一巻《古代中世史料編》、結城市、1977年3月30日 。(要登録)
- 『尊卑分脈』 五、吉川弘文館〈故実叢書第三輯第五回〉、1903年8月25日 。