結城安次
結城 安次(ゆうき やすじ、1884年(明治17年)10月17日[1] - 1977年(昭和52年)3月4日[2])は、大正から昭和時代の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。参議院議員。
経歴
編集結城萬蔵の二男[1][3]、結城堅の弟として茨城県取手町(現取手市)に生まれる[4]。1911年(明治44年)東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業し、三井物産に入り、本店、上海、大阪各支店にて勤務する[4][2]。1924年(大正13年)清浦内閣の時、逓信大臣秘書官に任ぜられた[4]。実業界では早川電力、東京電力、大井川鐵道などの重役、自動車鋳物、大井川電力各社長[2]、三河水力電気、伊豆水力電気、上毛電力、東京湾電気、寸又川水力電気各取締役[4]などを歴任した。
1939年(昭和14年)茨城県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[5]から1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任する[2]。戦後は1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に茨城地方区から出馬し当選[6]。緑風会に所属し参議院議員を1期務めた[6]。政界では、鉄道省、運輸通信省、議会制度審議会各委員[2]、参議院通商産業委員長を歴任したほか、第9回国際連盟総会帝国使節団員としてジュネーブに派遣された[6]。
1964年(昭和39年)秋の叙勲で勲二等瑞宝章を受章(勲四等からの昇叙)[7]。
1977年(昭和52年)3月4日死去、92歳。死没日をもって従五位から正四位に叙される[8]。
子の安蔵は茨城県教育委員や取手市議を歴任、現取手市議の繁は弟の孫。
脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 改訂13版』帝国秘密探偵社、1940年。
- 『貴族院要覧 昭和21年12月増訂 丙』貴族院事務局、1947年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
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