第5高射特科群
第5高射特科群(だいごこうしゃとっかぐん、JGSDF 5th Antiaircraft Artillery Group)は、青森県八戸市の八戸駐屯地に駐屯する東北方面隊直轄の高射特科部隊である。第101高射特科隊への改編に伴い、2018年(平成30年)3月26日をもって廃止されたが、2024年(令和6年)3月21日に再編された[1]。
第5高射特科群 | |
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創設 |
1973年(昭和48年)3月27日 (第5高射特科群) |
廃止 | 2018年(平成30年)3月26日 |
再編成 | 2024年(令和6年)3月21日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 群 |
兵科 | 高射特科 |
所在地 | 青森県 八戸市 |
編成地 | 八戸 |
上級単位 | 東北方面隊 |
担当地域 | 東北地方 |
概要
編集第5高射特科群は、当初1973年(昭和48年)3月に陸上自衛隊として5番目で東北方面隊唯一のホーク運用部隊として新編された。2018年(平成30年)3月に防衛大綱別表の7個高射特科群/連隊体制に沿う形で廃止となり、第101高射特科隊に縮小改編されたが、防空能力強化のため、2024年(令和6年)3月21日に第5高射特科群として再編成された[2][3]。03式中距離地対空誘導弾(中SAM)への装備転換の準備がなされている[4]。一度廃止となった部隊が称号を引き継ぎ再編成されるのは、陸上自衛隊で4例目となる(第1陸曹教育隊参照)。
沿革
編集第122特科大隊等
- 1959年(昭和34年)
- 3月12日:第122特科大隊(M51 75mm高射砲(Skysweeper)装備)が真駒内駐屯地において編成完結。
- 3月30日:第122特科大隊が真駒内駐屯地から八戸駐屯地へ移駐し、第9混成団隷下に編入。
- 1960年(昭和35年)1月14日:東北方面隊発足により、第122特科大隊が東北方面隊直轄となる。
- 1972年(昭和47年)
- 7月1日:第303無線誘導機隊を八戸駐屯地で新編。
- 9月18日:八戸駐屯地に地対空誘導弾ホークを装備する群編成のための編成準備室を開設。
第5高射特科群
- 1973年(昭和48年)3月27日:第122特科大隊(八戸駐屯地)を廃止し、第5高射特科群を編成完結。
- 1983年(昭和58年):命中精度を向上させた「改良ホーク(初期型)」に換装。その後も逐次「改善型」に換装。
- 1998年(平成10年):「改良ホーク改善Ⅲ型」に換装。
- 2006年(平成18年)3月27日:東北方面隊の後方支援体制変換に伴い、第106高射直接支援隊を廃止し、整備部門を東北方面後方支援隊第303高射直接支援中隊へ移管。
第101高射特科隊
- 2018年(平成30年)3月27日:第5高射特科群を廃止し、第101高射特科隊を新編。整備支援部隊が第301高射直接支援隊となる。
- 2024年(令和 6年)3月20日:第101高射特科隊(八戸駐屯地)を廃止し、増強改組する形で第5高射特科群に再編成[2][3]。
第5高射特科群(再編)
部隊編成
編集- 第5高射特科群本部
- 本部管理中隊「5高群-本」
- 中隊本部
- 群本部勤務班
- 指揮小隊
- 通信レーダ班
- 衛生小隊
- 補給班
- 第319高射中隊「319高」
- 第320高射中隊「320高」
- 第305高射搬送通信中隊「305高搬通」
- 第303無線誘導機隊「303無機」
整備支援部隊
編集第5高射特科群
第101高射特科隊
- 東北方面後方支援隊第301高射直接支援隊(八戸駐屯地):2018年(平成30年)3月27日から2024年(令和6年)3月20日の間。
主要幹部
編集官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
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第5高射特科群長 | 1等陸佐 | 奥田嘉夫 | 2024年 | 3月21日陸上自衛隊高射学校第1教育部長 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 | |
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1 | 佐渡清人 | 1973年 | 3月27日 - 1975年 3月16日東北方面総監部付 | 陸上自衛隊高射学校作戦評価室長 | |
2 | 白井尚 | 1975年 | 3月17日 - 1976年 8月 1日陸上自衛隊高射学校勤務 | 陸上自衛隊高射学校研究部長 | |
3 | 赤池義信 | 1976年 | 8月 2日 - 1978年 7月31日第2高射団本部高級幕僚 | 第2高射特科団本部勤務 | |
4 | 香月弘光 | 1978年 | 8月 1日 - 1980年 7月31日東部方面総監部調査部調査課長 | 陸上自衛隊高射学校学校教官 | |
5 | 有馬保邦 | 1980年 | 8月 1日 - 1982年 3月15日第2高射特科団本部勤務 | 陸上自衛隊高射学校学校教官 | |
6 | 大徳忠克 | 1982年 | 3月16日 - 1984年 3月15日青森駐とん地業務隊長 | 陸上自衛隊高射学校学校教官 | |
7 | 米田照信 | 1984年 | 3月16日 - 1986年 3月16日陸上自衛隊高射学校研究員 | 陸上自衛隊幹部学校研究員 | |
8 | 阿部政雄 | 1986年 | 3月17日 - 1988年 3月15日陸上幕僚監部防衛部研究課 総括班長 |
統合幕僚会議事務局第2幕僚室 情報班長 | |
9 | 荒木宏 | 1988年 | 3月16日 - 1991年 3月15日陸上自衛隊高射学校第2教育部 教務課長 |
仙台駐屯地業務隊長 | |
10 | 竹迫弘樹 | 1991年 | 3月16日 - 1994年 3月31日統合幕僚学校学校教官 | 東北方面総監部総務部長 | |
11 | 大空俊廣 | 1994年 | 4月 1日 - 1996年12月15日東北方面総監部調査部調査課長 | 陸上自衛隊高射学校第1教育部長 | |
12 | 小池重倫 | 1996年12月16日 - 1999年 | 3月31日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 陸上自衛隊高射学校第1教育部長 | |
13 | 石崎健 | 1999年 | 4月 1日 - 2002年 3月21日陸上幕僚監部監理部総務課 渉外班長 |
陸上自衛隊幹部学校学校教官 | |
14 | 松村茂光 | 2002年 | 3月22日 - 2004年 7月31日自衛隊体育学校企画室長 | 第1高射特科団副団長 | |
15 | 山川純次 | 2004年 | 8月 1日 - 2006年 3月26日陸上幕僚監部装備部開発課 総括班長 |
装備実験隊副隊長 | |
16 | 星指隆 | 2006年 | 3月27日 - 2008年 7月31日陸上自衛隊幹部学校主任教官 | 西部方面総監部人事部長 | |
17 | 立林剛 | 2008年 | 8月 1日 - 2009年12月 6日陸上幕僚監部装備部装備計画課 補給管理班長 |
陸上自衛隊研究本部主任研究開発官 | |
18 | 新宅正章 | 2009年12月 | 7日 - 2012年 3月31日陸上幕僚監部監理部総務課 渉外班長 |
陸上幕僚監部監理部総務課 情報公開・個人情報保護室長 | |
19 | 濱崎文明 | 2012年 | 4月 1日 - 2014年 3月22日自衛隊東京地方協力本部募集課長 | 西部方面総監部監察官 | |
20 | 西本浩史 | 2014年 | 3月23日 - 2016年 3月22日中部方面総監部防衛部訓練課長 | 統合幕僚監部総務部総務課 連絡調整業務室長 | |
末 | 諸石正弘 | 2016年 | 3月23日 - 2018年 3月26日陸上自衛隊高射学校主任教官 | 陸上自衛隊教育訓練研究本部主任教官 | |
第5高射特科群長(再編後) | |||||
代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 | |
1 | 奥田嘉夫 | 2024年 | 3月21日 -陸上自衛隊高射学校第1教育部長 |
主要装備
編集- 地対空誘導弾改良ホーク
- 79式対空レーダ装置 JTPS-P9
- 1/2tトラック/73式小型トラック
- 1 1/2tトラック/73式中型トラック
- 3 1/2tトラック/73式大型トラック
- 89式5.56mm小銃
警備隊区
編集第5高射特科群廃止時(2018年(平成30年)3月)の部隊編成
編集- 第5高射特科群本部
- 本部管理中隊「5高群-本」
- 中隊本部
- 群本部勤務班
- 指揮小隊
- 通信レーダ班
- 衛生小隊
- 補給班
- 第319高射中隊「319高」
- 第320高射中隊「320高」
- 第321高射中隊「321高」
- 第322高射中隊「322高」
- 第305高射搬送通信中隊「305高搬通」
- 第303無線誘導機隊「303無機」
脚注
編集“防衛省人事発令”. 2014年3月23日閲覧。
- ^ 防衛省発令(1佐職人事)2024年3月21日付
- ^ a b “陸自八戸180人増員 来年度防空能力強化へ部隊改編”. デーリー東北: p. 1. (2022年9月1日) 2022年9月2日閲覧。
- ^ a b c 陸上自衛隊八戸駐屯地【公式】 [@hachinohe_camp] (2024年3月20日). "第101高射特科隊は、令和6年3月19日八戸駐屯地において、第101高射特科隊廃止行事を実施しました。". X(旧Twitter)より2024年3月22日閲覧。
- ^ 陸上自衛隊八戸駐屯地【公式】 [@hachinohe_camp] (2024年3月28日). "第5高射特科群 は、令和6年3月23日~26日まで 朝霞 ・ 下志津 ・ 松戸 において、中SAM器材操作訓練を実施しました。". X(旧Twitter)より2024年4月10日閲覧。
- ^ 陸上自衛隊八戸駐屯地【公式】 [@hachinohe_camp] (2024年3月22日). "第5高射特科群 は、令和6年3月21日、八戸駐屯地 において実施された新編行事において、新生第5高射特科群として東北方面総監 梶原陸将から群旗を授与され、新たな一歩を踏み出しました。". X(旧Twitter)より2024年3月22日閲覧。
- ^ 第5高射特科群 - 陸上自衛隊八戸駐屯地(2024年4月11日閲覧)
- ^ “防衛省防災業務計画(令和6年3月28日)”. pp. 55. 2024年12月20日閲覧。
出典
編集『高射のあゆみ二十年』 高射学校編 1982年