第149師団(だいひゃくよんじゅうきゅうしだん)は、大日本帝国陸軍師団の一つ。

第149師団
創設 1945年(昭和20年)7月10日
廃止 1945年昭和20年)
所属政体 大日本帝国の旗 大日本帝国
所属組織  大日本帝国陸軍
部隊編制単位 師団
兵種/任務 歩兵
所在地 満州
編成地 満州
通称号/略称 不撓
補充担任 関東軍管区
最終上級単位 第4軍
最終位置 満州 ハルビン
戦歴 太平洋戦争
(ソ連対日参戦)
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沿革

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1945年(昭和20年)に入り、関東軍は南方へ兵力の過半数を引き抜かれていたが満州居留邦人15万名、在郷軍人25万名を「根こそぎ動員」、さらに中国戦線から4個歩兵師団を戻してなんとか74万人の兵員を調達した。さらに以前関東軍特種演習により本土から輸送させた戦車200輌、航空機200機、火砲1000門も健在であった。

しかし兵員の半数以上は訓練不足、日ソ中立条約違反を想定していなかった関東軍首脳部の混乱、物質不足(砲弾は約1200発ほどで、航空部隊のほとんどが戦闘未経験者。また小銃が行き渡らない兵士だけでも10万名以上)のため事実上の戦力は30万名程度だったといわれている。

同年7月、第149師団は「根こそぎ動員」の際に第5国境守備隊、第6国境守備隊、第7国境守備隊を基幹に編成された。第149師団は第4軍に編入され、チチハルに所在し陣地構築を実施していた。同年8月9日のソ連対日参戦を受け、第4軍司令部と共にハルビンに移動し、ソ連軍の侵攻に備えたが停戦となった。

第149師団隸下の歩兵第388連隊は、突如何の理由であろうか所属部隊が第125師団に変更されて吉林省通化へ移駐し、その代わり第125師団の歩兵第274連隊が師団に編入された。

第149師団のほか、第134第135第136第137第138第139第148師団が同時に編成された。

師団概要

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歴代師団長

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参謀長

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  • 印南清 大佐:1945年(昭和20年)7月16日 - 終戦[2]

最終司令部構成

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  • 参謀長:印南清大佐

最終所属部隊

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  • 歩兵第274連隊(広島):宮岸初次大佐
  • 歩兵第386連隊(満州):近藤毅夫大佐
  • 歩兵第387連隊(満州):真方信雄少佐
  • 砲兵第149連隊
  • 第149師団挺進大隊:露木甚助大尉
  • 第149師団通信隊
  • 第149師団兵器勤務隊
  • 第149師団病馬廠

脚注

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  1. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』230頁。
  2. ^ 『帝国陸軍編制総覧』1235頁。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 別冊歴史読本 戦記シリーズNo.32 太平洋戦争師団戦史』、新人物往来社、1996年。

関連項目

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