第五福竜丸 (映画)
『第五福竜丸』(だいごふくりゅうまる、英題:Lucky Dragon No.5)は、1959年(昭和34年)2月18日公開の日本映画である。近代映画協会・新世紀映画製作、大映配給。監督は新藤兼人、主演は宇野重吉。モノクロ、シネマスコープ、109分。
第五福竜丸 | |
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監督 | 新藤兼人 |
脚本 |
八木保太郎 新藤兼人 |
製作 |
絲屋寿雄 若山一夫 山田典吾 能登節雄 |
出演者 |
宇野重吉 乙羽信子 小沢栄太郎 千田是也 三島雅夫 稲葉義男 浜田寅彦 |
音楽 | 林光 |
撮影 |
植松永吉 武井大 |
製作会社 |
近代映画協会 新世紀映画 |
配給 | 大映 |
公開 | 1959年2月18日 |
上映時間 | 109分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
1954年(昭和29年)3月1日にアメリカ合衆国の水爆実験(キャッスル・ブラボー)で被曝した第五福竜丸と、その船員たちの悲劇をドキュメンタリー調に描いた作品。第33回キネマ旬報ベスト・テン第8位。
あらすじ
編集昭和29年(1954年)3月1日 午前3時42分、遠洋漁業に出ていたマグロ漁船「第五福竜丸」の23人の船員たちは、ビキニ環礁の辺りで夜空に輝く閃光とキノコ雲を目撃し、空から降ってきた灰のようなものを浴びた。日が経つにつれ、船員たちは肌が黒ずんで体調に異変を感じ始めた。どうやら、ピカドン(原爆)に遭遇したらしいと気づく。それは、アメリカが警告なしに実施した水爆実験だったのだ。
しかたなく漁を中断して、3月14日に焼津港に帰港。船員たちが病院で受診して、原爆症らしいことが判明する。放射能が検出された第五福竜丸の船体は封鎖され、多くのマグロが捨てられる。日本中が大騒ぎとなり、23人の船員たちは隔離病棟に収容され、静岡県知事が全面的な協力を約束する。来日したアメリカの専門家たちは、詳細な情報を教えることに消極的で、日本側をいらだたせる。船員たちは、より良い治療のために東京の病院に移送される。
医者・学者たちが総力をあげて研究と治療に取り組み、船員たちは快方に向かいだす。当時まだ珍しかったテレビを贈られて喜ぶ船員たち。ところが、回復してゆく若い船員たちをよそに、年配の久保山愛吉無線長だけは病状が悪化する一方だった。被曝から半年、ついに久保山は、妻・母・子・船員・医師らに見守られながら息を引き取るのであった。
スタッフ
編集キャスト
編集- 久保山愛吉(第五福竜丸の無線長):宇野重吉
- 久保山しず(久保山の妻):乙羽信子
- 見島民夫(漁撈長):稲葉義男
- 県衛生部長:永田靖
- 美波博士:原保美
- 静岡県知事:小沢栄太郎
- 助役:殿山泰司
- 大宮医師(協立病院の医師):永井智雄
- 熊谷博士(久保山の担当医):浜田寅彦
- 木下博士(京大教授):千田是也
- 都目博士:清水将夫
- 国立第一病院副院長:松本克平
- 甲賀(写真屋):中村是好
- 清水一郎
- 清川博士:三島雅夫
- 泉谷博士:十朱久雄
- 矢代きよの父:森川信
- 焼津の警官:三井弘次
- 西山与市(船元):松本染升
- アナウンサー:内藤武敏
- 組合長:笹川恵三
- 横森久
- 国立第一病院の小使:島田屯
- 野々村潔
- 陶隆
- 山崎浩司(機関長):松山照夫
- 金井大
- 理髪屋の主人:小笠原章二郎
- 社会部次長:嵯峨善兵
- 館敬介
- 新聞記者:中谷一郎
- 左右田一平
- 協立病院長:武田正憲
- 久保山きぬ(久保山愛吉の母):毛利菊枝
- 船員の母親:戸田春子
- 矢代きよ:広井以津子
- つや(河田の母):小峰千代子
- 山崎の母:原緋紗子
- 辻伊万里
- 井川比佐志
- 小森たき:内田礼子
- 谷岡婦長:桜井良子
- 見島の妻:眸瑠璃子
- みどり:多摩桂子
- 本郷淳
- 江角英明
- 権田(船員):田中邦衛
- 近藤次郎(甲板員):市村昌治
- 荒川甫水
- 高山秀雄
- 平田大三郎
- 田口計
- 穂高稔
- 森川公也
- 堀勝之助
- 内科医長:木下陽
- 中野伸逸
- 塚本信夫
- 二見忠男
- 木下ゆず子
- 田所千鶴子
- 小笠原慶子
- 原爆障害調査委員会所長:ハロルド・コンウェイ
- 米大使代理:ピーター・ウィリアムス
- アイゼンバアグ:ジョウ・ハーディング
- 米人医師A:ヨハン・ライクル
- 米人医師B:マリア・ウィリアムス
受賞歴
編集- 第33回キネマ旬報ベスト・テン 第8位
- 第13回日本映画技術賞(丸茂孝)[1]
脚注
編集- ^ 日本映画技術賞 受賞一覧、日本映画テレビ技術協会、2015年3月26日閲覧
関連図書
編集- 『新藤兼人・原爆を撮る』 新藤兼人著、新日本出版社、2005年。