笠原健治
日本の実業家
笠原 健治(かさはら けんじ、1975年12月6日 - )は、日本の実業家。株式会社MIXI取締役ファウンダー・上級執行役員[1]。大阪府箕面市出身。
かさはら けんじ 笠原 健治 | |
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生誕 |
1975年12月6日(49歳) 日本 大阪府箕面市 |
出身校 | 東京大学経済学部 |
職業 | 実業家 |
人物
編集父親は京都工芸繊維大学名誉教授の笠原正雄。母親は京都市立芸術大学で講師を務めるピアニストの笠原威子。大阪府の千里ニュータウンで育った[2]。東京大学在学中にネットエイジ社長西川潔の支援を受け、同社オフィス内にイーマーキュリーを設立。求人サイト運営を経てソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)運営に進出、「mixi」を開設した[3]。
2015年4月13日に家族向け写真・動画共有サービス「家族アルバム みてね」をリリース。笠原自身が企画・開発しており、主にスマートフォンで撮影した子どもの写真を、夫婦間や家族間といった限定した範囲で、見せたい相手だけに共有しコミュニケーションをはかることを目的としている[4]。
経歴
編集- 1988年:箕面市立東小学校卒業。この時期の将来の夢は宇宙飛行士。
- 1991年:箕面市立第六中学校卒業。
- 1994年:大阪府立北野高等学校卒業後、東京大学文科二類入学。
- 1997年:求人情報サイト「Find Job!」開設。
- 1999年:6月、有限会社イー・マーキュリー設立。11月、インターネットオークションサイト「eHammmer」をオン・ザ・エッヂと共同で設立。
- 2000年:イー・マーキュリーを株式会社化。eHammmerのオークション運営権を売却。
- 2001年:東京大学経済学部経営学科卒業。
- 2004年:米国で流行していたSNS「Friendster」に着想を経て、当時インターン生だったバタラ・ケスマ(衛藤バタラ)の提案で、mixi開設。
- 2006年:イー・マーキュリーの商号をミクシィに変更。
- 2008年:米経済誌「フォーブス」(アジア版)が発表した「日本の富豪」40人の37位になる。2005年に40位に入ったライブドアの堀江貴文元社長と同じ最年少の32歳でランク入り。総資産が7億4000万ドル(当時の換算で約850億円)[5]。
- 2013年:会長に退く[6]。
- 2015年:家族向け写真・動画共有サービス「家族アルバム みてね」をリリース[4]。
- 2020年:子育て家庭を支援する団体に助成する「みてね基金」を設立し、10億円の私財を提供した[7]。
- 2024年:12月、SNS「mixi2」オープン。同サービスでは開発責任者を務める[1]。
出演
編集- 偉大なる創業バカ一代(2017年7月15日、AbemaTV)[8]
- 日経スペシャル カンブリア宮殿 「次世代ネットビジネスの主役たち」(2006年5月8日、テレビ東京)[9]。
脚注
編集- ^ a b c 岡田有花「「mixi2」登録者、5日で120万突破 責任者の笠原氏「巨大SNSのレコメンド重視に寂しさ」」『ITmedia』ITmedia、2024年12月23日。2024年12月24日閲覧。
- ^ 『起業家2.0』佐々木俊尚著 小学館 頁26
- ^ 『起業家2.0』佐々木俊尚著 小学館
- ^ a b “子どもの成長をいつでも、どこでも、いつまでも!家族向け写真・動画共有アプリ『家族アルバム みてね』の提供を開始|ニュースリリース|株式会社ミクシィ”. ミクシィグループ. 2020年7月15日閲覧。
- ^ #37 Kenji Kasahara - Forbes.com
- ^ “人事、ミクシィ”. 日本経済新聞. (2013年5月15日) 2013年11月5日閲覧。
- ^ ミクシィ笠原氏 「みてね基金」に私財10億円
- ^ “2017年7月15日(土)放送”. AbemaTV (2017年7月12日). 2018年2月28日閲覧。
- ^ 「次世代ネットビジネスの主役たち」 - テレビ東京 2006年5月8日
参考文献・資料
編集- CNNによるインタビュー。2007年12月19日、Interview with Kenji Kasahara
- 佐々木俊尚「現代の肖像」『AERA』2007年10月8日号、朝日新聞社
- 『ミクシィ笠原健治の苦悩 成功に近道はない』日経ベンチャー、2006年11月1日号、P.69-71、日経BP社
関連項目
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