竹内権兵衛
竹内 権兵衛(たけうち ごんべえ、1875年(明治8年)10月7日[1] - 1945年(昭和20年)8月10日[2])は、大正から昭和時代戦前の政治家。実業家。貴族院多額納税者議員。幼名は幸太郎[3][4]。
竹内権兵衛 たけうち ごんべえ | |
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生年月日 | 1875年10月7日 |
出生地 |
日本 茨城県久慈郡 (現・茨城県常陸太田市) |
没年月日 | 1945年8月10日(69歳没) |
前職 | 実業家 |
子女 | 竹内弘 |
親族 | 弟・河盛安之介(衆議院議員) |
在任期間 | 1918年 - 1921年5月17日 |
経歴
編集茨城県久慈郡、のちの太田町[4](現常陸太田市)出身[3]。先代権兵衛の長男として生まれ[4]、1913年(大正2年)家督を相続と共に幼名を改める[3][4]。
1914年(大正3年)以降、茨城県農工銀行[注 1]監査役、日本製鋼取締役、日本赤十字社茨城支部商会議員などを歴任した[2][4]。ほか、水浜電車社長、茨城土木工業、鹿島軌道、日立電気各取締役を務めた[3][4]。
1918年(大正7年)9月29日には茨城県多額納税者として貴族院議員に互選され[5]、1921年(大正10年)5月17日に除名されるまで務めた[2][6]。
親族
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。
- 『茨城人名辞書』弘文社、1932年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。