立田革
経歴
編集信州松代藩の人物。佐久間象山と郷土を同じくし、一門と蘭学を学ぶ。その後江戸に出て河本幸明の塾に入る。大鳥圭介の紹介で慶應義塾に学ぶ。明治維新で帰郷し藩の兵学校で教鞭を取る。1871年(明治4年)再び上京し、外務省出仕を命じられる。樺太にて日本人とロシア人の間で紛争が起こると「日進艦」に乗り任務を遂行。1874年(明治7年)、中上川彦次郎、小泉信吉、星亨、河島醇らと共にロンドンへ随行。1879年(明治12年)大蔵省書記官となり、太政官書記官、外務省に転じる。1883年(明治16年)サンフランシスコ領事として赴任する。1890年(明治23年)韓国釜山府領事[1][2]となる。
脚注
編集参考文献
編集- 三田商業研究会 編『慶應義塾出身名流列伝』実業之世界社、1909年(明治42年)6月、387-388頁 。(近代デジタルライブラリー)