穆宗 (唐)
唐の皇帝
穆宗 李恒 | |
---|---|
唐 | |
第15代皇帝 | |
王朝 | 唐 |
在位期間 |
元和15年閏1月3日 - 長慶4年1月22日 (820年2月20日 - 824年2月25日) |
都城 | 長安 |
姓・諱 | 李宥→李恒 |
諡号 | 睿聖文恵孝皇帝 |
廟号 | 穆宗 |
生年 |
貞元11年7月6日 (795年7月26日) |
没年 |
長慶4年1月22日 (824年2月25日) |
父 | 憲宗 |
母 | 郭貴妃 |
后妃 | ない |
陵墓 | 光陵 |
年号 | 長慶 821年 - 824年 |
生涯
編集初名は宥であったが、元和7年(812年)に立太子された際に恒と改名した。元和15年(820年)に父帝が宦官の王守澄によって殺害されると、王守澄によって皇帝に擁立された。史書によれば主体性に欠け、享楽に耽る生活を送っていた。このため穆宗の代に宦官による専横がさらに顕著化し、牛李の党争と呼ばれる官僚らの派閥闘争が激化した。自らの長命のために道士が勧めた金丹による中毒により、30歳にして崩御した。