稲葉正武
稲葉 正武(いなば まさたけ)は、江戸時代中期の大名。安房館山藩の第2代藩主。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 明和6年4月28日(1769年6月2日) |
死没 | 天保11年7月6日(1840年8月3日) |
官位 | 従五位下、播磨守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 安房館山藩主 |
氏族 | 稲葉氏 |
父母 | 父:稲葉正明 |
兄弟 | 正令、堀正賞、正武 |
妻 |
正室:田沼意知の養女(田沼意致の娘) 継室:加納久周の娘 |
子 | 正盛(長男) |
生涯
編集初代藩主・稲葉正明の4男[1]。正室は相良藩嫡子・田沼意知の養女(田沼意致の娘)、継室は加納久周の娘。子は稲葉正盛(長男)。官位は従五位下、播磨守。
長兄の正令が廃嫡されたため、嫡子となる。寛政元年(1789年)、稲葉家の家督を相続する。寛政3年(1791年)、館山城脇に陣屋を構えた。文化9年(1812年)に隠居し、長男の正盛に家督を譲った。
系譜
編集父母
- 稲葉正明(父)
正室、継室
子女
- 稲葉正盛(長男)生母は継室
出典
編集- ^ 児玉幸多 北島正元『新編物語藩史第3巻』菅英志、1976年3月1日、394頁。