秋山 勝三(あきやま かつぞう、1891年明治24年)2月18日[1] - 1962年昭和37年)12月9日[1])は、日本海軍軍人。最終階級は海軍少将位階勲等正四位勲二等[2]

秋山 勝三
生誕 1891年2月18日
日本の旗 日本 滋賀県
死没 (1962-12-09) 1962年12月9日(71歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1912年 - 1945年
最終階級 海軍少将
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経歴

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滋賀県出身[1]1912年(明治45年)7月、海軍兵学校第40期を卒業し[1]1913年(大正2年)12月に海軍少尉に任官した[3]。「安芸」「朝潮」各乗組などを経て[3]1918年(大正7年)12月に海軍水雷学校高等科学生となった[3]1919年(大正8年)12月、海軍大尉に進級して第11潜水隊潜水艦長に着任[3]。その後は第12潜水隊潜水艦長[3]、「第34潜水艦」長心得[3]、「駒橋」水雷長兼分隊長兼海軍水雷学校教官[3]、「第42潜水艦」長心得などを歴任した[3]1925年(大正14年)12月に海軍少佐に進級と同時に「呂号第27潜水艦」長に着任し[3]海軍潜水学校教官[3]、「伊号第58潜水艦」「伊号第2潜水艦」各艦長を経て[3]1931年(昭和6年)12月に海軍中佐に進級し[3]、第6潜水隊司令に着任した[3]。次いで第4潜水隊司令に転じ[3]、兼「呂号第54潜水艦」長[3]、横須賀人事部部員を経て[3]1936年(昭和11年)12月に海軍大佐に進級し[3]、第8潜水隊司令に着任した[3]

1937年(昭和12年)12月に「阿武隈」艦長に転じ[3]1938年(昭和13年)12月に第3砲艦隊司令(第3艦隊[4])に就任した[3]1939年(昭和14年)11月に「青葉」艦長兼「能登呂」艦長に転じ[3]1940年(昭和15年)4月に免兼[3]、6月に兼「八重山」艦長となり[3]、11月に「出雲」艦長に就任した[3]1941年(昭和16年)9月に熊本地方人事部長に着任し[3]1942年(昭和17年)5月に海軍少将に進級した[3]。同年9月15日第51根拠地隊司令官(第5艦隊[5][6])に就任し[3]キスカ島に出征して同島の守備に任じた[1]キスカ島撤退後の1943年(昭和18年)8月5日軍令部出仕[3]8月17日横須賀鎮守府附となり[3]9月1日に横須賀人事部長兼横須賀鎮守府人事長に就任して終戦までその任にあった[1][3]。終戦後の1945年(昭和20年)10月10日に予備役に編入された[3]

年譜

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 福川 2000, 15頁.
  2. ^ 海軍歴史保存会 1995, 604頁.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by 海軍歴史保存会 1995, 605頁.
  4. ^ 坂本、福川 2003, 247頁.
  5. ^ 坂本、福川 2003, 357頁.
  6. ^ 坂本、福川 2003, 358頁.
  7. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、1頁。NDLJP:1276156 

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。ISBN 482950272X 
  • 海軍歴史保存会 編集『日本海軍史 第9巻』海軍歴史保存会、1995年。 
  • 坂本正器、福川秀樹 編著『日本海軍編制事典』芙蓉書房出版、2003年。ISBN 4829503300